2.刺客 (承前)
あの時左肩を掠めるだけで済んだのは、僥倖だった、と善行は思う。
脇から現れた幻獣のお陰で空間が歪み、弾が逸れたのだ。
以後若宮は、何も言わず、淡々と善行を追っている。
(幻獣に取りつかれでもしたのか…?)
一再ならず疑ってみたものの、彼のウォードレスは、全くの無傷だ。
となると、思い当たる点は、ただ一つしかない。
「彼が刺客だと、言うのか…」
口に出して確認する。若宮はある程度調整された兵士型の規格備品だ。命令にはほぼ無条件で従う様に作られていても不思議はない。その基本悟性を思えば、自ら、感情を操作し排するのは容易いだろう。おそらくは、自分の大陸赴任が決まった時から、上からの命により、「大陸戦闘で死ななかった時の」刺客として乗り込んできていたのだ。元から監視役の可能性が高い事を思えば、合点がいく。
「…」
兵器としての『備品』の悟性を、嫌が応にも思わざるを得なかった。
左肩が次第に、痛みを増していく。
ドッ…ウン!
すぐ近くで、何かが炸裂する音がした。
バラバラと降り注ぐ破片に、我に返る。
体勢を立て直して壁向こうを伺うと、若宮が最後のバズーカを投げ捨てる処が見えた。
「よし…!」
先ずは所持武器が同レベルになった。だが、これで五分、と言えない処が哀しい処である。単に一撃霧散の可能性が無くなっただけ。むしろ相手の敏捷性が増した分、状況は悪化したと言っても良い。対抗できるのは、昨今評価されつつある頭だけだった。
パン!
「くっ!」
再び走り出そうとして、善行は、足に鋭い痛みを感じた。
的確な、無駄のない射撃が、彼の腱の辺りを打ち抜いていた。
だが、歩みは止められない。
無事な方を繰り出そうとして、再びの銃声を聞いた。
「ぐぁ…っ!」
そのまま地べたにのめりこむ。
熱の様な痛みが、両の足からしていたが、動きは止められない。
まだ動く両手を使って、這いずる様に体勢を変える。
カトラスとハンドガンは、握りしめたまま。
その背後に足音が迫る。
その右足に、ぐ、と重みが掛かった。
「!」
ぐしゃ、と嫌な音がして、激しい痛みが、来た。
「うわあああああああっ!」
自分のものとは思えない悲鳴が、ずるずると喉から出る。
背後に立った若宮が、善行の足を踏みつけていた。
善行は、激しい恐怖と戦いながら、やっとの思いで、若宮を見上げる。
若宮の目には、何の感慨もない。
す…とハンドガンが善行の眉間付近にあわされる。
ギィイン!
「っ!」
咄嗟に額を庇う様にして上げたカトラスが、一射目を弾いて折れた。
備品より調整された第六世代の反射神経が為さしめた、偶然。
だが次は、ない。
流石に覚悟を決めたが、まだ武器を手放す気にはなれず、相手を睨み付ける。
震える手を押さえつける様にして、ハンドガンを握りしめる。
だが、若宮は次を撃たず、口を開いた。
「実に、見苦しいですな」
ハンドガンは相変わらず突きつけたまま。
「ですが、その生き抜こうとする精神は、見上げたものです。生き汚なさこそは、是非とも持って頂きたいものでしたから」
淡々と、事実のみを、語る。
彼の話している間にハンドガンを撃とうとして、その隙が無い事を思い知る。
「…此処は、礼を、いうべき、なのかな?」
精一杯の虚勢で応えてみる。
「残念です。貴方は、とても指揮官に向いておりますのに」
初めてその口調に、感情らしきものが、こもった。
「勿体ない事です」
若宮はトリガーに掛けた指に、力を込めた。
何かチャンスは無いか。
一瞬で良いから、相手の気を逸らせれば。
善行はまだ諦めてはいなかった。
錯綜する、その、一刹那。
トーーーー…ォォォォン……!
この世のものとは思えない、澄みきった音が、響き渡った。
それと同時に、光が周囲を取り巻く。
弾が、何かに押し止められる様に、二人の間を浮いていた。
善行の胸元から、あのペンダントが、浮かび上がっていた。
それは仄かに蒼く光って、善行の正面に、光の壁のようなものを作っている。
「うぉっ?!」
予想し得ない状況に、若宮が怯んだその隙を、善行は見逃さなかった。
パパン。
その銃口は、過たず、若宮の眉間を貫いた。
「!」
彼の身体から、力が抜け、ゆっくりと頽れる。
一瞬だけ、笑ったように見えた。
パシャ、と小さく脳漿の落ちる音がした。
すぅ…と光が消えて、ゆっくりとペンダントが重力に従う。
勢いを失った弾が、地べたに落ちて転がった。
「ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…」
激しい痛みに喘ぎながら、這い摺って、若宮の側に、寄る。
仰向けに倒れた顔は、目を見開いたままだった。
その光のない、黒々とした瞳孔は、闇の様に、深い。
だが善行は、何の感慨も感じなかった。
初めて人を殺した。しかも、師とも、旧知の友とも呼べる相手をだ。
何処かで自分の行為を嫌悪し、罪悪感を感じているに違いないと思っているのに、心には何もない。
ただ、その目を避ける様に、閉じさせただけだ。
「?」
ふと、自分の右頬が濡れてる事に気付いて、触れてみる。
右目だけから、涙が流れていた。
それが恐怖からのものか、哀惜からのものか、果たして何でもないのか、彼には判らなかった。