3.来須

 その日の放課後、舞は訓練に励んだ。耐久力−早い話が気力と体力を更に磨く事で、同乗者の速水の不安を取り除こうと思ったのだ。
 「大体あ奴は騒ぎ過ぎるのだ。一寸被弾した位であんなに叫びおって」
 戦闘後、しがみついて来た時には、何をそんなに恐れるのかと思った。
 だが、泣きながら、速水は言った。
 君が怪我しないでよかった。
 「泣かず共良いのに…」
 他人を心配するぐらいなら、自分をこそ鍛えろというのだ。あんな華奢な男に心配されるような身体は持っちゃいない。だが、他ならぬこちらの為に掛け値無しの涙を流してくれた事については、悪い気がしなかった。
 だから、特訓である。

 ふと、顔を上げて、空を見る。
 月が次第に青味を増していた。
 もう大分遅い時間だった。舞はスカウト並に基礎体力を上げているから、こんな時間でも平気で特訓しているが、大概の人間は音を上げて、帰っていてもおかしくない。幼いののみなどはとっくに夢の中であろう。
 「…お腹がすいたな」
 味のれんが閉まっている様な時間でもある。修理に集中していたので、購買で買った備蓄の食料も尽きていた。食堂兼調理場で弁当を作るか、誰かにたかるしかない。
 彼女には、弁当を分けてくれるような、つき合いの深い人間は居ない。いたとしても、せいぜいぽややんで物好きでお節介な速水か、誰にでも優しいののみ位なものだ。「芝村」の名は普通の人々にとっては忌むべき類のものでもある。この部隊の人間は、戦友とでも見なしてくれてるのか、まだ彼女に愛想の良い方だが、それでも何か含むものを感じる。速水みたいな反応をする人間の方が珍しいのである。尤も、そんな事は「芝村」にとっては些末な事だ。
 些末ではあるが、今回の場合、実に重要である。
 この処、二日に一回程の出撃率なので、ローテからいけばそろそろである。戦車兵である以上、水分の取り過ぎは辛い事になりかねないが、それでも空腹出撃は避けたかった。
 グラウンドでは、舞の他にスカウトの若宮と来須がそれぞれに、黙々と仕事をこなしていた。仕事、といっても「戦車随伴歩兵」である処の彼ら、スカウトは己の身体一つが資本であるから、やっている事はこちらの訓練と大差ない。違うとすれば、せいぜい合間に銃火器やカトラスの整備をしている事ぐらいだろう。
 「…い、いかん。流石に彼らからたかろうなどと…」
 一瞬、頭をよぎった考えに苦笑する。確かに魅力的だが、他人をアテにするという点で下策である。それに、彼らにとっても食料は重要な補給源だ。ましてこちらよりダイレクトに影響が出る立場でもある。一度若宮に弁当を貰った事があるのだが、その量に驚いた事がある。その日は基礎体力を大いに上げようと、2セット8時間の大特訓をした時だったので、助かりはしたのだが、渡した当の本人の方は大丈夫なのかと人ごとながら気になったものだ。
 「…」
 さりとて、弁当づくりは余り得意ではない。毎日持ってきてる弁当だって、実は自分では作っていない。家から届けられてるのを何食わぬ顔で持って出てるのだ。作ってみても良いが、1時間無駄にするのは痛い。
 「…もう少しだけ特訓するか」
 失敗確率の高いものは避けようという腹が、一寸だけ働いた、らしい。
 体力と相談して、気力訓練をもう1セットだけやる事にした。
 気力訓練の場所に向かって歩き出す。スカウトの二人が「仕事」の走り込みを続けているグラウンドを横切って、尚絅高校の玄関に向かう。と、
 ひゅ、と空を切る音が聞こえ、咄嗟に舞はそれを受け止めた。
 「…何!?」
 四角くてゴツ目のその固まりは、弁当箱に見えた。
 それが飛んできた方向に顔を向ける。
 走り込みを続けていた筈の来須が、その場で立ち止まり、手を下ろすところが目に入った。その動きは正に投げた後の動作だ。とするとこれは、
 (投げて、寄越した?)
 目があった。
 「…」
 相変わらず来須は何も言わない。
 目深にかぶったハンチングの隙間から見える、青く鋭い目が、ほんの少しだけ動く。
 そのまま彼は真っ直ぐこっちに向かって歩いてきた。
 「…!」
 舞は声を掛けようとしたが、来須は何も言わず、彼女の側を通り過ぎ、さっさと行ってしまった。

 …文字通り、行って、しまった。

 後に、弁当と舞が残された。
 「…これは…」
 何でわかったんだろう、という以前の困惑。
 だが、礼を言わねば、と思ったその時だった。

 「201V1、201V1、全兵員は現時点をもって作業を放棄、可能な限り速やかに教室に集合せよ。全兵員は現時点をもって作業を放棄、可能な限り速やかに…」

 深夜であるにも関わらず、構内に高らかに響き渡る、出撃コール。
 人生とは、得てしてそういうものか、と舞は苦笑した。



4.素子

 「今度は芝村のお嬢さん?お盛んな事ね」
 当てつけるような声。
 低く、応えてみる。
 「−何の話ですか」
 少し、間が開いて、ぎり、と歯を噛む音が聞こえた。
 「…俗物」
 吐き捨てるような口調。
 「…その俗物が、忘れられないのは貴女でしょう?」
 突き刺すように睨み付けてきた、ぎらぎらと、情念の輝く目。
 その目を、綺麗だ、と思った。
 「…刺されないだけ、マシだと思いなさいな」
 「−刺してみれば良いじゃないですか」
 女の目を、動揺が、走る。
 「いっそ、貴女に刺されるなら、本望ですよ」
 その昔、他ならぬ自分が、綺麗だと言った、その手が震えているのが見えた。
 「何を…言ってるの」
 歩み寄る。
 「刺しなさい、と言ってるのです。…素子さん」
 「…それは何かの冗談?」
 震える声音。
 肩を抱く。
 そのまま構わず抱き寄せようとして、左頬に衝撃を受けた。
 勢いの余り、眼鏡が床に飛んで落ちる。
 「…嫌」
 大きく喘ぐ全身。
 激しく手をふりほどく。
 「貴方は、いつも、そう」
 叩いた右手を左手で握り込むようにして、後ずさる。
 「素子さん」
 「…狡いひと」
 背中を向ける。
 その肩が震えていた。
 「…刺してなんかやらない。絶対」
 走り去る、細い背中。
 「…」
 すっかり見えなくなった処で、溜息を一つ。
 「−やれやれ…また、泣かしてしまいましたか」
 おもむろに、落ちた眼鏡を拾い上げる。
 静かに呟く。
 「…やっぱり貴女は他の人と幸せになるべきですよ…私のような男では駄目です。」
 ああは言ったが、本当に大人しく刺されるかどうかというと、そこは自信がない。刺された方が楽だというのは分かり切っているが、きっと、そこでまた彼女を裏切ってしまうであろう自分に、気づいていた。
 決して彼女の為でなく、生き汚い道を取ろうとする筈の自分に。
 「きっと、」
 彼女と生きる道は蠱惑的だが、今の自分には決して取り得ない道。
 この生き方を選んだ、否、選ばされた時から。
 薄く、笑う。
 「純真な貴女には、荷が重い」

 こういう時、萌が、恋しくなる。
 無性に、誰かに、逢いたかった。



-Liar's_LOVE-2/9 
[PREV] [NEXT]

[HOME] [Novel Index] [PageTop]