1.ささやかなのぞみ(承前)
その夜の事だった。
『201v1、201v1 全兵員は現時点をもって作業を放棄、可能な限り速やかに教室に集合せよ。繰り返す。201v1、201v1、全兵員は教室に集合せよ』
「な…?!」
夜食を作っていた善行は、その手を止めて顔を上げた。
その間もアラートは鳴り続けている。だが、昨日までと違って、現状無職の彼に、大した情報は入ってこない。これは作戦守秘に基づく情報封鎖だ。
「…っ!」
詳細情報を取るべく、かねてより仕掛けていた『バックドア』を起動させながら、とりあえず作業を中断し、食堂を飛び出して、更衣室に駆け込む。皆と一緒になってウォードレスに着替え、指揮車に近付こうとして、そのまま足を止めた。
今の自分に、行くべき場所はない。
無職の今、出来る事と言えば、整備の残留組と共に出撃する彼等を敬礼して見送るのみ。
(『彼女』をスポイルしたまま、戦闘する気か…速水!)
こんな頻度で出撃する様な地域には、転戦していない。勿論それは、速水の異動を見越してのものだ。転戦申請は早くとも認可に丸一日掛かる。もし速水が転戦を希望しても、実施は明日になる筈だ。つまり今日一日から明日朝に掛けては、小隊に大きな動きが発生しない。その猶予で欠けたラインを建て直す陳情を実施すれば、新たな体制でスタート出来る様になる。そしてその時間はそのまま、
自分が帰還申請する為の猶予、でもあった。
それが、即出撃になったという事は、速水が司令権限により、自ら出撃を決めたと言う事。それは、彼の自信の現れか、それとも。
(…複座型はまだ空席の筈。スカウト2名に士魂号2体で戦うつもりか!)
戦士としての速水は一級だったが、司令としての速水は未知数だ。その上、元来が速水・芝村コンビに負う処の大きい小隊なのである。二人の乗る複座型に比べてはるかに練度の低い単座組と、練度こそ高いが攻撃力的に士魂号に劣るスカウトで、果たしてどれだけの戦果が期待できるか…と、そこまで考えた処で、はたと気付く。
「何を考えている。私がすべき事は済んだのではなかったか…?」
誰にも聞こえないように、けれど、意図的に口に出して呟く。
そう、速水を覚醒させた処で自分の仕事は終わっている。既にこの小隊を指揮する必要も、権限も、自分にはない。覚醒させた相手は、「絶対」は無いが、確実に生かす力を持っている者。だからこそ、『帰還』して、中央から援護する事が適うのだ。何を焦る事がある。
そう思ったら落ち着いた。
『141v2。出撃用意』
時を同じくして、多目的リングに速水の指令と戦闘情報が入ってきたのも、気分を落ち着かせる一因になった。作動ツールが安定したらしい。
眼鏡のブリッジを中指で押し上げて、笑ってみる。
「やれやれ。これは早々に立ち去る方が良いのかも知れませんね。目に付くと、一々下らない事まで考えてしまう」
やっといつもの自分のペースを取り戻した。
出撃組を見送り、残留組を手伝うべくハンガーに戻った善行は、輸送トラックに積まれたまま残された、複座型の前に立つ人影を見つけた。
ウォードレスは久遠−舞、だ。
今回の異動でパイロットに空席の出来た複座型は、原則として出撃不能である。必然的に片割れの舞は残留待機にならざるを得ない。そこが単独でも出撃可能なスカウトとの違いである。舞はさぞじりじりしているに違いない、と思った。
と。
突然舞が、向きを変えて駆け出した。
「!」
咄嗟に、脇を駆け抜けようとする、その二の腕を掴まえる。
「何をする!離せ!」
「何をする気です」
「する事のない貴様と違って、私は戦闘にも出られずこんな処で燻っている訳にはいかんのだ!離せ善行!」
「スカウトでもやりに行くつもりですか?」
「そうだ!戦わぬ芝村など、芝村ではない!」
「歩兵一名加わっても、大した戦力にはなりませんよ。それどころか、速水君の指揮の邪魔になります」
「邪魔だと…!」
舞の顔が怒りに染まる。
「そうです。貴女が幾ら能力が高くても、歩兵の貴女が戦場に居れば、速水君はどうしたって貴女に気を取られる。彼は自分と貴女以外の兵士の能力を、信用していませんから。自分より練度の高いスカウトの両名すら、です。それこそが彼の強さですが、指揮を執る場合はそうもいかない。彼は自分よりはるかに劣る兵士を、意のままにしなければならないのですから」
「…っ!」
流石に理解はしたらしく、腕から力が抜ける。
善行は手を離した。
舞が、俯く。
「貴女も芝村を名乗っているのなら、これがどういう事か判るでしょう?兵の誰もが芝村の様には戦えないのです」
そして、おそらく速水は、舞を意図的に戦場から外したのだ。自ら戦おうとする、大事な少女を守る為に。或いは、彼女無しで戦える布陣を試そうとしているのかも知れない。
だがそれは、舞に知らせる事ではない。
「…どうしても、駄目なのか…?」
絞り出すような、声。
「芝村さん?」
「…笑うが良い…」
握りしめた両手が微かに震えている。
「わ、私は…っ、銃後には…っ、慣れて、いない…っ」
「…」
「こんな、気持ちを、抱いたまま…っ」
両手が開かれて、善行の両の腕を掴む。
凄い力だ。
「待つ様に、出来てはおらぬ…っ!」
顔を上げる。
炎のような、瞳。
「!」
一瞬、完全に、のまれた。
(…っ!)
咄嗟に顔を逸らして、激しい感情の奔流をいなす。
激情をぶつけた事で、少しは舞も落ち着いたらしい。
善行の腕を、ゆっくりと、離す。
「…すまぬ…お前にこの様な事を言っても始まらぬのにな」
その声の、らしからぬ弱々しさが、更に善行を揺さぶった。
「…じゃあ、こうしましょう。私と一緒に出撃、というのはどうです?」
言ってる自分が一番驚いた。だが、そんな事はおくびにも出さないのが性である。
「何?!」
舞が目を剥くのを受けて、笑顔を浮かべた。
「幸い私は、車の免許も戦車兵資格も持っています。このままあのトラックを出せますよ?」
眼鏡を中指で押し上げる。
ついでに、腹を括った。
「どうします?」
舞は一瞬唖然とした。だがそこは流石に芝村の名を冠する娘だ。すぐに飲み込んで、不敵に笑う。
「昨日まであれだけ軍規軍律をやかましく言っていたお前が、いきなり軍規違反か?」
「はい」
善行は、笑い含みに応えた。
「…相変わらず、食えない男だな」
「−どうします?」
舞は笑った。
「決まってるではないか。−答えは、一つだ!」
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