深夜。
たしぎはその夜何度めかの、水飲みに起きあがった。
航海に水が貴重な事は、よく判っていたが、今夜はよく喉が渇く。
きっと、身体の火照りが抜けない所為だろう。
それだけ涙と鼻水が止まらない所為かもしれない。
「…っ!」
歩く度に激しく痛む右足が、また、昼の出来事を思い起こさせて、悔しさが全身を駆け抜ける。
また、瞼が、熱い。
(忌々しい!)
どっと湧いてきた何度めかの涙に、怒りを新たにする。
誰一人として止める事もならず、お尋ね者と知りつつ、麦わらとその一味に手を貸した。
確かにそれは、あの場の最善だったが、自分にとっての最善では無かった。
私は、無力だ。
壁を、叩く。
「痛!」
拳を見る。
壁板の鋭い棘が刺さっていた。
「…っ!」
唇を噛む。
摘んで、一気に抜いた。
じわり、と血の玉が、浮く。
ちりちりとした痛みが、まるで今の自分の心の様で、苛々を加速させた。
(惨めだ…)
水瓶の蓋を開けて、柄杓ですくった水を、一気に飲み干す。
喉を通る冷たい水すらも、この冥い熱は、静められない。
「…おさまらねえのか」
「!」
低い男の声にびっくりして、思わず振り向く。
たしぎに背を向けて、ベッドに腰掛けるスモーカーの姿があった。
「大佐…!」
「悪いが勝手に入った。どうせ開けちゃくれまい?」
「いえ…」
言いながら、不満げな声音を押さえられなかった。
今は誰の顔も見たくない。
「正義を選ぶ事も出来ない弱さ、か…」
スモーカーがゆっくり立ち上がった。
「何とでも言って下さいっ!わ、私は…た、確かにっ」
彼は、たしぎの前に、立ちはだかる。
「弱いな」
「!」
ぐ、とその手がたしぎの顎と身体を、押さえつける。
「…斬り付けますよ?」
「好きに、しろ」
言うなりスモーカーは、たしぎに荒々しく口付けた。
「…ッ!」
少し暴れてみたが、男の腕は、びくともしない。
それがまた、昼間のあれを思い起こさせて、たしぎは再び、涙を流した。
涙に気が付いて、男の唇が、離れる。
「…そうやって、私を屈服させて、楽しいですか」
男の目が、たしぎを正面から捉えた。
「…楽しくなんかねえよ」
「じゃあ何故」
「…」
スモーカーは応えず、そのまま唇をたしぎの首に這わせた。
「…っ!…こ、応えて下さい」
「…」
その手が、たしぎのブラウスの中を、まさぐる。
「…っあ…いや、です…こ、こんな、大佐…」
「…たしぎ」
「!」
初めて聞く声だった。
「…大佐?」
おそるおそる、男を見る。
目が合うと、スモーカーは、薄く笑った。
見た事のない、ごく小さな、弱い笑み。
「悔しいのは、お前だけじゃねえ、って事さ」
胸が、疼いた。
たしぎは、自由になる方の腕で、ゆっくりとスモーカーの背中を、抱いた。
逞しい身体は、彼女の手には余る。
「…良いのか?」
心持ち不安そうな、声。
これも、初めて聞く。
「…今更何を」
たしぎは、今宵初めての、笑みを浮かべた。
「私達は、同じもの、なのでしょう?」
男の手が、女の顔に、触れる。
その無骨な指が、不器用に、涙を拭った。
皮肉そうに歪んだ口元から、呟きが聞こえた。
「…よくわかってるじゃねえか」
−Continueus Next_WJ(笑)−
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