「主任、本日の被験体は8998982と8998984です」
「ああ、一寸いい結果出てる二体ね?どんな感じ?」
主任研究員が、書類に手を伸ばす。
「ハチニーは感情野の推移とリンクしてる感じね。ハチヨンは自己防衛時、かしら」
「ええ、ですが…」
「なあに?その顔。−ははーん、貴女新人ね?駄目よ、被験体に情を移しちゃ。アレはモノで、私達とは違うんだから」
「…」
主任技師は肩を竦めて、きっぱりと言い放った。
「良い?被験体の中には媚びを売る実験をしてるモノだってあるんだからね。ミイラ取りがミイラにならない様に充分気を付けなさい。情を移して実験が失敗でしたでは、ナンセンスなんだから」
ガラスの向こうに、被験体が、二体。
どちらも、髪は青く、胸が大きく膨らんでいる。
それなのに、その細く、骨の浮いた体つきには丸味が無く、不自然な体型だ。
究極の違和感は、その股間の陰茎にあった。
「随分投与してるけど、余り目立った発動がないのがねー…」
「電流、流します」
「ハチヨンの方、昨日より一寸強めにしてみてくれる?自己防衛力が何処迄効くのか見たいから」
「はい」
女性ホルモン投与による女性化を促進する事により、第六世代の女性型特有の能力である超常能力の、男性型発動実験。何故求められているかは研究する側も知らない。既に何千体と消費しているが、未だに芳しい結果は得られてなかった。この二体は今迄の中で、僅かながら良い結果を出していた為に、現在まで生きながらえているのだ。
「!!!!」
電極に流された衝撃実験用の電流が強すぎたのか、一体ががくり、と動きを止める。
「ああー、っと一寸待って止めて止めて」
「…心停止。蘇生試しますか」
「ああ、良いわ。折角良い被験体だったのに…残念。捨てて」
被験体は、物資不足の折、貴重ではあったが、消耗されるモノでもあった。最強の戦士を作る為のプロジェクトは国家どころか全世界共通の最優先課題であったから。作られたモノに、人権などというものはとうの昔に存在せず、モノとして只、切り刻まれ、開かれて、その結果だけを珍重されて葬り去られる運命にあった。殊にその実験専用体の証として、遺伝子に目印としての青い頭髪を生やす情報を与えられたブルーヘクサこそは、モルモット以外の何者でもなかったのである。
ある時から、大量の男女が、彼の上に跨っては腰を振り、或いは精液を掛け、過ぎ去っていく様になった。彼自身は、自分勝手にのし掛かってくる生き物たちが気持ち悪くて、嫌だったけれど、拒否という言葉は此処には無かった。ただもう、生き物たちのやり方に合わせて欲望を吐き、生き物たちに応えるしかなかった。自分と同じモノが殺された、電気実験が減ったと思えば、まだ生きられるだけマシだ、と思っていた、そんな夜。
「…大丈夫?」
オリの前に立っていたのは、ミヤコだった。
8998982は、ゆっくりと、顔だけ向ける。
「ゴメンね…貴方達だってヒトなのに」
「…」
「貴方達のおかげなのに」
目に浮かぶ、微かな涙。
「…」
「…中、入っても良い?」
8998982−キイクニは、小さく頷いた。
実験が終わるとミヤコは、何時もこうやってキイクニの檻の前に現れる。
そしてごめんね、ごめんね、と言いながら、身体を拭き、手当をしてくれた。
その声や身体を面白がって、性欲の玩具にするような研究員の多い中で、只一人彼をヒトとして扱ってくれる女性。
どんなに彼が酷い事になっていても、母親の如く対してくれるひと。
只一人、彼が、気を許した大切な人。
「…いいの?」
小鳥の様な、細く高い声。
「何が?」
「ぼくなんかと、此処にいて」
身体を拭いながら、ミヤコは笑った。
「大丈夫。貴方はそんな心配をしなくて良いのよ」
その笑顔が、覚えていない筈の母親を想起させて、心が温かくなった。
「今日は一寸目先を変えてみようかな」
「えぇ、主任、またですか?」
「何か電気実験、頭打ちだし。欲望の動きで良い傾向にあるからって、この前何人かとセックスさせてみたんだけど、ぜーんぜん。あの子変に魅力があるみたいで、逆にこっちに味しめる馬鹿が出ちゃって大変よ」
「それで…時々妙な匂いがするんですか…」
「ああ、烏賊臭いでしょ?もう、ヒトの実験棟でさかってザーメンばらまくなっての」
「主任…」
「誰も聞いちゃいないわよ。こんな話芝村の諜報機関だって面白くないでしょ?」
主任研究員は、檻内の監視映像を眺めた。
「そろそろ、潮時だろうし」
彼がひっぱり出されたのは、夜半過ぎだった。
「ミ、ミヤコさん」
「しっ」
ミヤコは辺りを窺う様にして檻を開けると、彼の手を取って外に出した。
「急いで。今なら誤魔化せるから」
「な、何?何なの?」
真剣な顔が彼を見つめた。
「逃げて」
「で、でも、ミヤコさんが」
「私はいいから。早く」
ミヤコは彼の手を握って走る。泳ぐ様に彼も走った。
「あと少しだから。あの角を曲がったら−」
嬉しそうなミヤコの横顔に、心が躍った、その時。
「そこまでにしなさい、綾子」
「!」
そこまで、だった。
角の先には武装兵士と、白衣の女性が立っていた。
「何て事をしてくれたの。大家令はお怒りよ?」
「で、でも!」
白衣の女性が肩を竦める。
「だから情を移すなと言ったじゃない。相手は只の消耗品なんだから」
「消耗品じゃないわ!同じヒトよ!」
「ヒトじゃない。ブルーヘクサよ」
白衣の女性が顎を動かす。
それと同時に兵士がミヤコと彼を、易々と、捕らえた。
幼い彼の抵抗など、何の役にも立たなかった。
「残念だわ、綾子」
白衣の女性の言葉が、胸に突き刺さる。
自分が捕まった事より、ミヤコが捕まってしまった事の方が、哀しかった。