「三番機帰還。これより撤収します」
「了解した。我々も間もなく撤収する」
マイクを切って、善行は指揮車からトラックに積まれた士魂号を眺めた。
その禍々しい迄の不格好なフォルムに、世界の希望が詰め込まれている。
思いが起こす奇跡を、じっと待ち続ける、夢みる機体である事は、ごく一部の者しか知らない事。
「ご執心ですなあ、司令」
いつの間にか背後に瀬戸口が立っていた。
「そんなに良いですか?あの出来損ないが」
いつもの軽やかだが棘を含んだ口調に、溜息をついて応える。
「練度と整備を過分に要求する、非効率な機体ですよ?滝川君じゃあるまいし」
「敢えて要求されたのは御自身と漏れ聞いてますけどね」
善行は、それには応えず、薄く笑った。
「これが…戦車」
初めてスピリットオブサムライを、目にして、善行は唸った。
「人型ではありますが、非常に有能です。車両型でなしえない事を高精度で実現できる、現在持ちうる技術の全てが集積してあります。世の馬鹿共は間抜けと言いますが、間違いなく現代最高の機体なのです。それがお偉方には判らんのですよ」
自ら輸送してきた壮年の技術士官は、悔しそうに呟く。
「誰にでも使えなければ、名機とは言えないでしょう。天才を要求する武器は使えないのと同じです。現状の我が軍に、練度を高める余裕はないですから」
「その為の、生体脳システムです」
「少尉」
善行の咎める様な口調に、澱む事もなく言葉が続く。
「どうせヒトとしての尊厳など、ラボが誕生した段階で失われておるのです。備品としてクローン兵士を作っている御時世に、生体部品を使う事の倫理を問う事なぞ、ナンセンスだと思うのですがね」
善行は眼鏡のブリッジを軽く中指で押し上げた。
「その正直さは危険ですね、少尉」
技術士官は口元を歪めて笑った。
「流石に中尉殿は、政治的でいらっしゃる」
「貴方の様な貴重な人材には、なるべく軍に残って貰いたいと思いますので」
「有り難うございます。警告として伺っておきましょう」
渡された書類にサインをして、善行はもう一回士魂号を見上げた。
「…」
「乗ってみますか?」
思わず士官の顔を見る。
「始動出来ますよ」
…誘惑が、勝った。
『ヘッドセットを繋いだら、多目的結晶のある側を下にして、手をアームレストに差し込んで下さい』
単座型のコクピットに座った善行は、言われた通りにヘッドセットを被る。
「…第六世代の身体能力を極限まで活用するシステム、と考えれば、如何にも我々にお誂えの武器と言えなくもない」
脳を含む、パイロットの『身体』全てを生体脳が操作して、動作させるシステム。戦う為に生まれてきたモノを、完全なる部品として扱う考え方は、人道という観点を除いてある種理に適ってはいる。
(我々をヒトと認識できるのなら、ですがね)
そんな事を考えながら、リングの結晶の付いた側をジョイント部にあてる様にして、腕を差し込む。
ヴ…ン。
低いうなりがして、情報が加速度的に流れ込んでくる。だがそれも一瞬の事。
「!」
眼前が突然開け、独特の浮遊感覚と共に、青空が広がった。
美しい波形を描く、紋様の様な雲が、そこかしこに見える。
意識だけが拡散しながら、魂を知覚する、まるで夢の中に居る様な、感覚。
「これ…が…グリフ、か…」
見えているのは何処迄も、高層の青。
この肉が、縛り付けられた煉獄の大地は、視界にすら、入らない。
意識さえ向ければ、何処へでも自在に飛べる。
背後にある、真紅の夕闇の型は、自分を示す記号の様にも見えた。
そこは、全てが完全に外界と切り離された、魂のみの場。
善行は、我知らず笑いがこみ上げてきた。
「…今、僕の意識はこんな事になっていても、その身体はあの機械を動かし、脳味噌は演算処理の手伝いをしているという訳か」
自分の意識とは与り知らぬ処で動かされていく、運命。
青空が、歪む。
それが、士魂号の哀しみの様に見えて、善行は微笑んでみせた。
「あなたの所為ではありませんよ。あなたの気持ちには応えてあげたいけれど、どうも僕は、あなたとシンクロするのには向いてないようです」
他者に自らの、生殺与奪を与えるのは、性に合わない。
たった独りで自分の闘いを始めた時から、他者に縋るのも、導かれるのも、是としない生き方を選んだのだ。
「ごめんなさい。僕は、僕に似合いの場所に帰ります。あなたはあなたに似合いの方を、見つけて下さい」
『どうです乗り心地は?こいつはいい娘(こ)でしょう?』
技術士官の声が、頭の上から響く。
それで善行は、意識が士魂号から切り離された事を知る。
「動きは、どうでした?」
『初めてにしては綺麗に動いてましたよ。汎用度、高めてはあるんですが、それでも良い感じでした』
バランスの問題から難しいと言われた士魂号の操作だが、戦車兵資格を持たず、委ねる事を是としなかった自分でも、何とか出来たのだとすれば、新兵でも何らかの手は打てるだろう。殺しと戦いの技術は、生き延びてくれば自然と身に付いてくるものだ。
委ねられない事が、自分の限界かも知れないな、と少しだけ笑う。
「成程。貴方方の技術は素晴らしい様です。有り難う」
祭が指揮車のエンジンを掛けた。
萌が救護作業を終えて、指揮車に乗り込む。
「行って下さい」
祭に帰還指示を出して、善行はコマンダーズシートに深く座り直す。
「あれが動く棺桶なら、こっちも似た様なものか」
ののみのシートベルトを直してやりながら、瀬戸口が呟いた。
「瀬戸口君」
「はい?」
「帰還する迄が作戦行動です。私語は慎む様に」
「失礼しました」
(違いますよ、瀬戸口君。あちらは蓋の開かない棺桶ですが、こちらは少なくとも、自分の意志では出ていける棺桶ですから)
善行は眼鏡のブリッジを軽く押し上げて、小さく笑った。
−Ende.−