それは、余りに静かな夜更けの事。
「ん…」
素子は微睡みながら、ゆっくりと寝返りを打った。
そのまま隣の男に手を絡ませようとして、手応えの無いのに気付く。
「!…ど、何処?」
一気に目が覚めて、上体を起こす。
程なく、ベッドの縁に腰掛けてる、大きな背中に気付いて安堵する。
多目的結晶を眺めていた若宮は、背中に女の体重を感じて、顔を上げた。
「…起こしてしまいましたか」
「…居なくなってしまったのか、と思って…」
しなだれかかる素子が、心地良かった。
「戦争が終わったのに、変よね。でも、時々凄く不安になるの…」
若宮は静かに笑った。
「大丈夫ですよ。自分は素子さんを一人にしません。必ず側におります」
「…私は、臆病、だから…」
背後から抱きしめてくる、その手にそっと触れる。
「自分は、貴女が居たから、生還出来たんです。だから、もっと自信を持って」
穏やかな時が、流れる。
二人はそのまま、じっとしていた。
と、不意に若宮が、窓の外に目をやる。
「…何?」
「いえ。今、北東の辺りに何か、光った様で…」
「北東…?」
素子は、ふと日付とある記憶に、思い当たった。
「ああ…きっとそれ、流れ星」
「流れ星?」
「毎年丁度今頃、一年で一番流星が多い時期があるのよ。そろそろ極大日が近いんだわ」
「極大日…?」
「流れ星が降る期間の中で、一番数の多い日を、そう呼ぶんだって…昔、アイツに教わったの」
衒い無く、自然に、昔の男の事が、言える様になった。
その位、自分は素直になったと思う。
それはきっと、今の男のお陰だろう。
若宮は、何も言わない。
「…知ってる?」
「はい?」
「流れ星が消える迄に、願い事を三回言えると、その願いは叶う、って話」
「ほう…」
「迷信みたいなものなんだけどね…でも、夢があって、悪くないでしょ?」
「はい」
外を再び、す、と星が流れた。
「では、自分は、素子さんの幸せを祈ります。『素子さんが幸せでありますように』と。それが自分の、一番の幸せでもありますから」
「…馬鹿」
少しだけ、間が空いた。
「ねえ」
「はい?」
「明日の夜にでも、星を見に行かない?プラネタリウムじゃない、本物の流星群」
「は…」
「まだ復興し切れてない、灯りの少ない今がチャンスよ?きっと、花岡山辺りならよく見えると思うの」
「そうですね…あの辺は星がよく見えて、夜戦の時に、方向を定めるのに困りませんでしたから」
「でしょ?じゃあ、約束ね。夜食一杯作るから、『ご飯が食べたい』なんて願いは駄目よ?」
若宮は苦笑して、頷く。
「…はい」
翌朝、いつもの様に仕事探しに出る若宮に、素子は念を押した。
「どうせ見に行くのは深夜だから良いけど、余り疲れを溜めたり、明日出る事になるような仕事は選んじゃ駄目よ?」
「判りました。素子さんが楽出来る様、気を付けます」
「宜しい☆」
素子が両手を広げる。
「え」
狼狽える若宮を促す様に、素子は両手を軽く振った。
「ほら。何してるの。約束したでしょ?」
若宮は照れながら、そっと素子を抱いた。
「行って来ます」
応える様に、素子は若宮に口付ける。
「行ってらっしゃい」
「最終決戦以来、ですか…」
男は静かに口を開く。
「元気そうで何より、というのもアレですがね」
「は」
「−彼女は、貴方が此処に来る事を、知っているのですか?」
「は、いいえ。彼女には、内緒です」
二人の男の間を、時が、静かに流れていく。
男は徐に、眼鏡のブリッジを、押し上げた。
「…すみません。私に出来るのは、此処迄です」
「師団長殿には、感謝しております」
「…」
「本来なら最終決戦後に回収される筈だった自分を、こっそり逃がしてくれたお陰で、憧れの人とも、幸せな時間を過ごす事が出来ました」
「…十翼長」
「今回の回収廃棄要請は、予想しておりました。これ迄に随分と無茶してますから、此処迄保ったのが不思議な位ですし」
もう一人の男の顔に、穏やかな笑みが、浮かぶ。
「自分は、満足です」
対峙している男の視線が、微かに逸らされる。
男は、笑みを浮かべたまま、相手を見つめた。
「…どうしてそんな顔をしているのです?自分は『備品』としての任務に従って、出頭しただけですよ?」
眼鏡越しの目線が、ごく微かに揺れて、再び戻る。
「…らしくありませんな、師団長殿?」
恬淡とした、声音。
やがて善行は、溜息を付いて、静かに笑った。
「やれやれ。これではまた、嫌われてしまいますね…」
若宮は、破顔した。
「申し訳ありません」
す、と善行の手が、敬礼の形を取る。
応える様に、若宮も又、敬礼した。
静かな部屋に、ただ、蝉の鳴き声が、遠く、聞こえていた。
その夜。
素子は夜食の仕込みに余念がなかった。
「何たって食べるから、量だけは確保しないとね☆」
味や期限には文句一つ言わない男だが、さりとてそこをおざなりにするのは自分のプライドが許さない。せいぜい腕を振るうのみ、である。
と、
空を、青い光が、すぅ、と流れた。
長い長い残像の残る、青く美しい、一筋の、光の尾。
余りの鮮やかさに見とれて、手が止まっていた。
(素子さんが幸せでありますように−)
「あ、いけない」
若宮の声が聞こえたような気がして、再び料理に掛かる。
(あんな流星が今から見られるなら、夜中はきっと凄いわね)
素子は、愛しい男との、深夜デートに思いを馳せていた。
−The End.−