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「高機動幻想ガンパレード・マーチ」(アルファ・システム)より
2002-08-08 公開



 扉を開くと、年輩のマスターが、その場に似つかわしい声で応えた。
 「お早いですね」
 善行もにこやかに応える。
 「この処少し、暇になりましてね」
 「…いつもの、ですね?」
 「ええ」
 落ち着いた雰囲気の、こじんまりとした、小洒落たスタンディング形式の、カウンターバー。
 気に障らない程度にボリュームを落としたピアノ曲が流れる、落とし気味の照明でしつらえた店内は、無造作に置かれた古めかしい調度すら、実に似合いだった。

 大概先客が一人か二人は居るものだが、今日はいつもより早く入った所為か、誰もいない。

 「夜だというのに、外は、まだまだ暑いですね」
 「ええ、でも、クーラーが使える様になりましたから…」
 外の暑さを感じさせないのは、ごく微かに空調が働いてる所為と、知れる。
 (それだけ、復興したって事か…)
 やがて、善行の前に、オンザロックが置かれた。
 小さく氷がぶつかる音を楽しみながら、琥珀色の液体をゆっくり流し込む。


 と、


 再び扉の開く音がして、隣に人の気配がした。
 「折角の日だって言うのにこんな処に居て、もう…そりゃ此処は良いお店だけど、ウチの売上に貢献してくれればいいのに」
 囁く様に呟いて、横に立ったのは、素子だった。
 マスターが薄く笑って、肩を竦めてみせる。
 応える様に彼女も笑って、ブラディーマリーを注文した。
 「店は、どうしたんです?」
 「主賓が貸切をすっぽかしたから、お休み。おかげで今月、赤字だわ。耳が痛い?」
 「…御免なさい」
 素子は溜息をついて、笑った。
 「良いわよ。どうせ貴方の事だから、こんな事だろうと思ったけどね」
 「すみませんね」
 「謝るのは私より、彼等にして頂戴」

 その言葉に合わせる様にして、遠坂、瀬戸口、精華の三名が、入ってくる。

 「へえ、良い雰囲気だな」
 「こんなとこ知ってるなんて、意外だわ」
 「森君…」
 彼等は口々に文句を言いながら、それでもオーダーを出す。
 「探し当てたのは彼等よ」
 素子の揶揄に、善行は肩を竦めた。
 「…やれやれ。たまには一人で飲ませて下さいよ」
 遠坂が、静かに微笑んだ。
 「私達の目を逃れられるとお思いですか?」
 出来上がってる風情の瀬戸口が、おどけた口振りで絡む。
 「そうはいかないぞ?今日の主賓が」
 「もう、瀬戸口君、だから止してって言ったのに」
 精華は瀬戸口の腕を掴む。
 「待ってる間に、すっかり出来上がってるんだから」
 「我々の歓迎をすっぽかして一人で飲んでるなんて、納得いかないな。説明して貰おうじゃないか」
 特に難詰口調ではないが、柔らかな非難は充分に含む様な、声。
 「言葉を慎め、瀬戸口」
 たしなめる遠坂を制する様に、善行は片手を上げた。
 「構いませんよ。オフに上下を持ち込むのは無しにしましょう。我々は戦友ではありませんか」
 「しかし…」
 それでもなお、不満気な遠坂に、顔を近づけて、素早く囁く。
 「遠坂君。年功序列を言えば、瀬戸口君の方が年上ですよ?」
 「…はい」
 「そこ、何ひそひそ話してるの」
 答えに困る遠坂を後目に、善行は澄まして応える。
 「何でもありませんよ」
 「…流石に班長の扱いには慣れてらっしゃる」
 「今の独り言は聞かなかった事にしますよ、遠坂君」


 「まあ、でも、先輩には悪いですけど、場所が変わっただけで、此処でも出来ますよね?お祝い」
 精華が言って、グラスを持った。
 言われて遠坂、瀬戸口、素子が、自分のグラスを手に取る。
 「騒がなければ、良いでしょう。と、言う訳で、誕生日、おめでとうございます、師団長」
 「おめでとう」
 「ハッピーバースデイ、元・委員長」
 ささやかな、乾杯。
 善行は、軽くグラスを上げて、応えた。
 「有り難うございます…ですが、こういうのも、Happyって言うんですかね?」
 素子が、相変わらずね、と言った表情で、肩を竦めた。
 瀬戸口が詰め寄る。
 「何言ってんだ!死んだ奴の事を考えろよ。生きられなかった奴が沢山居るのに、贅沢だぞ?」
 「それは、その通り、なんですけどね」
 善行は、苦笑を浮かべた。
 「生き延びられて幸せ、位に思わないといけないんですが…その有難味が薄れる位には、戦後になったって事ですかね」
 その言葉に、精華が思案顔になった。
 「うーん…でも、勇美あたりが此処に居たら『老けていくって考えると、余り有り難くないかも』とか言いそう」
 素子が眉根を寄せた。
 「いやぁね。どうしてそんな事言うの?」
 精華が悄気る。
 「…すみません」
 遠坂が、相槌を打つ様に口を開いた。
 「確かに、目的を無くしてしまうと、そういう感じにはなりますね。戦争が終わって、ある程度普通に生きられる目処がついてくると、それまで必死になっていた目標が消えて、何をしたらいいのか判らなくなる」
 「生きたい、という自己保存的な目標が消えて、生きる意味を問う様になってくると言う訳ですか。甚だ哲学的になってきましたね」
 応えて善行は、再びオンザロックを口に運んだ。
 先程と違って、少し苦みが加わった様に感じたのは、気の所為か。
 「…無駄に長いのも…大変だからな」
 思案顔の瀬戸口が、ぽつりと呟く。


 場が少し、重くなった。


 「−何辛気くさい事言ってるの!人生まだまだ捨てたものじゃないわよ?」
 素子が、努めて明るい声を出して、笑った。
 「そう、まだまだ恋だって出来るんだし☆」
 その語尾の華やかさに、善行は思わず苦笑した。
 「貴女は元気ですねえ…私はもう、こりごりですよ」
 「そうね。貴方、大分後退してるし」
 「何がです?」
 素子は片目を閉じた。
 「生・え・際」
 その言葉に、面子の視線が一斉に、善行の額に集まった。
 流石に気になって、咄嗟に額を隠し、抗議の声を上げる。
 「な!何を言ってるんですか!これは刈り上げてるんであって、」
 「へ…?」
 「し、師団長?」
 全員が呆気に取られたのも、つかの間。


 場が一斉に笑いに彩られた。


 「…な、何です、失敬な!」
 素子が涙を拭きながら、応える。
 「フフ、あはははは、冗談よ、冗談」
 「タチが悪いですよ…!気にしてるのに」
 「そ、そうなんですか?」
 精華が、唖然とした。
 「5121の頃から抜け毛が多くて…って何言わせるんですか!」


 場は更に爆笑の渦になった。
 他に客が居ないから良い様なものの、これでは雰囲気も何もあったものじゃない。


 「フ…フ…あー可笑しい…」
 やっと笑いがおさまって、素子は新たな涙を拭いた。
 そのままふっと、真面目な表情になる。
 「…」
 「どうしました?」
 「貴方も…普通の男なんだな、ってね…」
 「当たり前ですよ。気が付かなかったんですか?」
 素子は、何かを含む様な、静かな微笑を浮かべた。
 「こんな簡単な事に気づけなかったんだから、私も子供だったって、事よね」
 善行は、応えない。
 「ずっと意地張ってたのが馬鹿みたい」
 素子は、長く細い溜息を付いて、ぐっと身体を伸ばした。


 と、不意にイタズラっぽい表情を浮かべて、善行を見る。


 「そうさせたのは、誰の所為?」
 「…私、ですか?」
 「違うの?」
 「…すみません」
 「冗談よ」


 柔らかな、間。


 善行は、グラスを軽く揺らした。
 「貴女は…随分と、良い女になりましたね」
 「そうよ、知らなかった?」
 「良い具合に肩の力が抜けた感じがしますよ」
 「貴方は、こんなに良い女を、袖にしたのよ?」
 自信たっぷりに、笑う。
 「今の御感想は?」
 「惜しい事をしましたね。勿体なかったと、悔やんでますよ」
 「そうでしょう?」
 善行は素子にだけ聞こえる様に、呟く。
 「そんなにも、『彼』は…優しかったですか?」
 素子は誇らし気に頷いた。
 「ええ」

 「もう、やけちゃうな。善行さんと先輩、妙に良い雰囲気」
 精華がふくれ気味になる。
 「我々は置いてけぼりですか、師団長?」
 「何の話です?」
 「またそうやってしらを切る。俺には丸聞こえなんだぞ?」
 「拗ねないの。パーティすっぽかしのお詫びに、今日の此処は全部彼持ちだから」
 高らかに宣言する素子に、抗議の目線を向けたが、彼女は知らんぷりだ。
 「え、ホント?」
 「やったあ、流石は高給取り。前々から飲んでみたいお酒があったのよね」
 「太っ腹、って奴ですか? 話が判るじゃないですか」
 口々に喜ぶ顔ぶれを見ながら、善行は苦笑混じりに溜息を付いた。
 「…やれやれ。主賓はロハなんじゃないんですか?」
 「なあに?文句ある?」
 先に非があるのは貴方でしょうという視線に、肩を竦めて笑う。
 「…ありません」
 「よし☆」


 心地良い幸せが、ゆっくりと心を充たす。
 こんな気分を味わったのは、何年ぶりだろう。
 速水を送り出した後の、達成感と連帯感が生み出したのかも知れない、
 ささやかな、幸福。
 これなら、生き残るのも、悪くないかも知れない。



 「…ハッピー・バースディ」



 善行は小さく呟いて、自分にグラスを掲げた。
 今度の酒は、ひどく美味い気が、した。


- Ende.-



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