0.カルテ
「次の要請は?」
「傷痍軍人の特急再生。将校特権にS付箋付きだ」
「エスだって?じゃあ、頭弄るのか?」
「いや、その逆だ。頭周りは絶対に弄るな、との厳命付」
「そいつはつまらないなあ…記憶位なら抜く手もあるのに」
「頭を弄ると困る何かがあるんだろうよ。エス共の考える事は私らには解る訳もないからな」
「どれどれ…うわあ、こいつは酷いな。逆に頭だけが無事って事か。それなら残しもしたいだろうが、この状態で真っ当な精神が残ってるのか?」
「さてな。何しろ紅一号の生き残りの内の1人らしいから、上も残したいんだろうよ」
「って事は、二人の内の片割れか。これだけの怪我にせよ、よく人の形で戻ってきたもんだ」
「もう片方はこれが連れ帰ったらしいぜ。そっちは頭だけでほぼ無傷。ウォードレス頼みではあっても、そこ迄は相当な精神力だな」
「凄いな。それなら新世代開発の為に、是非脳を見たいものだが…エス付きではなあ…残念だ」
「カルテをもう一度見せてくれ。確認する…ん?」
「どうした」
「妙な要請が付いてるな、と思ってな」
「視力矯正か?昨今の再生を使う奴には多いぞ」
「いや、こっちだ」
「ああ…これは確かにあれだな。フル・クローニングでは無理だぞ?」
「これだけ字が違うな。要請は本人か?」
「全く、何の拘りなんだかな。要らん手間だよ」
「まあ良い。良い機会だからあれの臨床をやっちまおう。その位は平気だろ?」
「『特権』とはそういう事だからな。フ、知らずに使う馬鹿の何と多い事か。お陰で色々捗って有り難いがね」
「ま、こいつはエス付だから、派手な事は出来ないがな」
1.欺瞞
素子は開口一番、嫌味を言い放った。
「随分と老け込んだものね。別れといて正解だったかしら?」
善行は、背もたれに寄りかかったまま、苦笑する。
「色々と気苦労が多くてね。貴女は一段と綺麗になりましたね」
椅子に座ったままの善行と、その前で仁王立ちしている素子。
深夜の、小隊隊長室で対峙する、二人。
「当たり前よ。私は貴方とは違うの」
素子は自信たっぷりの眼差しで、善行を睥睨した。
「大体何その格好。もう少し自分の歳と外見を考えたら?怪しさも一段と増してるわよ」
「そりゃあ学兵の中に入るんですから、少しでも若く」
「…変人にしか見えないわよ」
「そうですか?」
素子は嘲笑う様に、高らかに笑った。
「『少しでも若く』が聞いて呆れるわよ。格闘訓練で、ののみにぶっ飛ばされたんですって?みっともないったらありゃしないわ」
「相変わらず手厳しいですね」
善行の中指が、丸眼鏡のブリッジを、くいっと上げる。
「−随分緩いフレームなのね」
「はい?」
「貴方、そんな癖、昔無かったでしょ」
「そうですか?」
素子は善行から目をそらした。
「嫌な奴。そんな処は変わってないのね」
善行は薄く笑って、椅子を斜向きにした。
「いいえ。私も、随分変わりましたよ、百翼長。時というのは、誰にも等しく流れるものなのです。ただ、誰にも良い様に、流れる訳では無いだけでね」
素子が一瞬、ハッとした表情で善行を見る。
が、慌てて取り繕う様に、言葉を継いだ。
「岩田君と、踊ったりする事が?」
善行は再び苦笑した。
「−何を見てるんですか。私なんかをつけ回すのは止めなさいと言ったでしょう?」
「フン。変人同士、さぞかし気が合うんでしょうね。一緒にしないで頂戴。貴方と違って私は真面目なんですから」
踵を返し、立ち去る素子の背を横目で見ながら、善行は小さく溜息を付いた。
再び眼鏡を押し上げて、呟いてみる。
「…よく、覚えてるものですね…」
『201v1、201v1 全兵員は現時点をもって作業を放棄、可能な限り速やかに教室に集合せよ。繰り返す。201v1、201v1、全兵員は教室に集合せよ』
出撃召集が校内中に響き渡る。
そこかしこの学兵達が、所定の場所に向かって一斉に走り出す。
ハンガーから教室に向かって駆け出した素子は、シャワー室から飛び出した善行と、正面衝突してしまった。
「な…!」
思わず文句を叫ぼうとして、言葉をのむ。
眼に入ってしまった、上着を引っかけただけで露わになっている、濡れたままの男の上半身は。
「何をもたついているんです、百翼長」
「え」
男の言葉で正気に返った。
「時間がありません。早く!」
善行は、言いながら素子の腕を取って、軽々と引き起こす。
少し、動揺した。
「あ…ありがと」
その言葉に、少し善行の表情が、緩んだかに見えた。
「どういたしまして。行きますよ」