1.事件
善行がその騒ぎを聞きつけたのは、放課後の事だった。
一通り各部署を見回って小隊隊長室に戻り、さてこれから一仕事するかと文書を開いた処で、外が一気に騒がしくなったのだ。
先に来て仕事をしていた祭も、顔を上げた。
甲高い音がして、多目的リングに連絡が入るのと、滝川が駆け込んでくるのがほぼ同時だった。
「大変だ!委員長!」
「壬生屋さんが瀬戸口君を押し倒しでもしましたか?」
「この人マジ顔でサラッと何を−って、そら無いて」
「せ、整備班長が、原先輩が、速水の奴を刺したんだよ!」
「うっそー!」
「!」
祭が叫んで立ち上がる。
善行は鋭く問いただした。
「場所は何処です」
「尚絅高校の校舎裏。尚絅校の生徒が先に発見して、今、大変な騒ぎになってる。速水の奴、ピクリとも動かねえし、血がスッゲエ出てて、中村なんか目ェ回してんだ」
祭はそれを聞くと、現場を見にすっ飛んでいった。
善行は素早く多目的リングに届いたメールを確認する。送り主は若宮からで、内容はほぼ同じ。
(…そういえば昨日、デートをすっぽかされていたな…)
脳内戦隊メモを素早く手繰って、日曜の素子の動向に思い至る。速水は舞に捕まって、士魂号の整備をしにいってしまった所為で、待ち合わせに間に合わなかったのだ。今朝の妙に不穏な雰囲気も確認している。
(よりによって、速水か…)
内心舌打ちしながら、善行は立ち上がった。
「整備班長は現場にいるのですか?」
「あ、ああ。一寸怖い感じだけど…」
「判りました。今行きます」
校舎裏には人だかりが出来ていた。中に5121の制服も混じっている。
「おう、委員長。待ってた」
本田がこちらを見る。
「話は聞きました。医者は?」
「呼んだが、多分間に合わねえ。今、石津に手当させてるが、初動が遅れた。第一発見者が見つけた時には、既に相当の出血だったらしい」
「彼女は」
「若宮に押さえさせた。見るか?」
「ええ」
本田について、人の波をかき分ける様にして、輪の中に入る。
「…」
輪の中心に、素子と、素子を押さえる若宮、倒れている速水に手当をする萌が居た。
全身速水の血にまみれた素子の視線は、在らぬ方向を眺めていて、後から来た善行は眼に入っていないかの様だった。
「…司令殿…」
苦渋に満ちた若宮の呼び掛けに、素子の身体が少し動いたが、善行は素子を一顧だにする事無く、素早く速水の側にしゃがむ。
確かに滝川の言う通り、速水は土気色の顔のまま、ピクリともしていない。呼気も次第に弱くなっている。何処を刺したのか、背中の辺りから夥しい血が噴き出して、今もまだ止まる事無く、大きな血溜まりを作り続けている。萌がその力で止血をしているが、追いついてないのが明らかだ。
「手伝いましょう」
「おね…がい…」
善行は制服の片袖を無造作に引き破ると、慣れた手つきで、速水の止血を手早く行う。
ワイシャツの袖口が、あっという間に速水の血に染まる。
(…だが…これは無駄だな)
過去の経験から、速水がもう駄目な事は判っていた。おそらくはその知識と超常感覚とで、萌も気が付いているに違いない。それでも手当するのは、それが大事な仲間だからだろう。
「…何してるの?」
低い、嘲るような、声がした。
善行は、手を止める。
「速水君はもう私の中にいるのよ…?貴方そこで…何してるの?…そんな事しても無駄な事くらい、見れば判るじゃない」
「素子さん…」
若宮が辛そうに、名を呼ぶ。
だが彼女には、聞こえて居ない様だった。
その目が捉えているのは、只一人。
「…馬鹿じゃないの?無駄を切り捨てる見本の様な男が、こんな時だけ偽善者ぶって。そんなに自己満足が欲しいの?−下らない、男」
素子はくすくす笑った。
「速水君もそうよ。私との約束を破って、あんな芝村の小娘の方に行ったりするから…でも良いの。全て許してあげるわ。だって彼はもう、私だけのものだから」
言うなり彼女は、甲高く、笑った。
「狂ってる…」
誰かの呟きが人混みから、微かに聞こえた。
だが、善行は何事も無かったかの様に、再び作業を続ける。
「十翼長、命令です。憲兵が来る迄原千翼長を会議室に監禁しなさい。絶対に逃がさないように」
「!」
「!…は、はっ!」
あわてて若宮が応える。
素子は善行の背中を悔しそうに睨み付けた。
「連れて行け。若宮、判っているな?」
「はい…教官殿」
本田の念押しに、苦しげな返事をしている若宮の声を、背後に聞きつつ善行は、「備品」の彼に「命令」は断れないだろう、と思う。
それが彼の基本悟性だから。
「善行。軍医が来た」
「わかりました。石津さん、対応を頼めますか?」
萌が頷くのを確認して、立ち上がる。
「…手…拭いて」
差し出されたタオルで、血塗れの手を拭いながら、背後の本田に向き直る。
「本田先生。後を頼みます」
「おう、…原か?」
「はい。憲兵に連れて行かれる前に、二三確認を」
本田は気の毒そうに善行を見た。
「…悪い時期に、此処に居たな」
善行は本田にだけ判るように、小さく笑った。
「…ええ。一寸、失敗しましたね」