3.取引

 程なく来た命令に従って、善行は統合本部へ再出頭した。美しい女性士官が彼を先導したのは、誰もいない小会議室だった。
 「こちらでお待ち下さい」
 彼女が立ち去るのを確認してから、用意されたパイプ椅子に座る。

 やや拍子抜けがした。

 シビリアンや自衛軍上層部のお歴々の居並ぶ場所で、今回の件を糾弾されるのだと思って身構えてきた。その為に、修復の為の入院時から幾通りものシミュレーションを頭の中で繰り返した。何しろ相手を自分の思う通りに動かさねばならないのだから。

 (殺される訳にはいかないからな…)

 責任を取って銃殺などという目にあっては約束が果たせない。さりとて変に英雄視されても、目的の場所に行けなくなってしまう。降格されて左遷あたりが妥当な線だ。

 善行は任命の当初から、今回の作戦を、日本軍に関しては、初めから敗走を狙ったものだと踏んでいた。これほどの大敗は予想外だったかも知れないが、負ける事を想定していたとしか思えない面が多々ある。先ず、士官学校出たての自分をいきなり上級万翼長に置いて、しかも一個師団を任す、というのが不自然なのだ。任命した第四世代達は大いに高揚していたが、幾ら人材不足とはいえ、人類存亡のかかったこの一戦に、シミュレーション以外の軍隊経験がない自分を頭に置く事だけでも、勝つ気があるのか疑わしい。その上普通師団長と言えば最低でも少将以上の筈なのに、通常階級で言えば高々少佐でしかない上級万翼長がその任にあたる異常。しかも配下一万人という数だけでも尋常ではないのに、その殆どが第四世代だ。確かに第六世代は自分の年齢くらいが頭になるので、戦場に出せないのかも知れないが、自分以外の第六世代は一個中隊程度しか加わっていない。その第六世代も、ある「意図」が込められて集められたものなのは、後で気が付いた。
 狙いはおそらく、第四世代の弱体化と第六世代による実権の完全掌握。そしてこれから、徴兵の規定を広げる何らかの構想が打ち出されるのだろう。士官学校で漏れ聞いた、「少年徴兵法案」辺りが確率が高そうだ。多分その全てに、かの一族と「青」が関わっている。ある「目的」を完遂する為に。自分はその生贄に過ぎない。只一人というのも非常に効率的だ。七家の中から選んだのも、狙っての事だろう。相変わらず、周到な事である。

 (或いはこれも、「彼」の手の内なのか…)

 そういった部分も確かに「彼」にはあった。おそらく初めから、「彼」はああいう状態で自分に逢う為に、この身分を任命させたのだろう。共に闘った今だからこそ、確信があった。

 記憶を刺激されて、身体中の、まだ治りきらない傷達が、疼く。
 塞ぎ切れていない脇腹の傷が、重く、痛んだ気がした。


 「待たせたな」

 大きな体をゆったりと動かして、男が入ってきた。
 善行は反射的に立ち上がり、敬礼する。

 芝村勝吏。

 最近台頭してきたかの一族の一人で階級は準竜師。もっと上を望めるのだが、本人の意思により現在の地位に留まっているとの話だ。年齢は善行と同じ。今回の作戦にも関与の噂が高いが、本人は肯定も否定もしていない。

 「座り給え。顔色が悪いぞ。怪我か、それとも他の事でかは知らんが」

 勝吏は笑い含みにそういうと、正面の椅子に腰掛けた。
 「は、失礼します」
 善行も座る。
 「どういう訳か、大陸の大敗は、まだ世間に公表されていない。第四世代がひた隠しにしている。愚かな事だ」
 相変わらず他人を卑下し馬鹿にしたような尊大な口振りなのは、この一族全ての特徴だった。その自信がなせる技なのだろうが、他人を不快にさせるという点では天下一品である。善行は世間に七家と呼ばれる、芝村に近しい一族に所属している為、まだこの言葉遣いには免疫のある方だったが、その時は表情を消しきれなかったらしい。
 「…何か言いたそうだな、ん?構わんぞ。質問を許可しよう。どうせ非公式だ。それに、貴様の処遇はもう決まっている。これはその前の温情とでもいうやつだ」
 善行は覚悟を決めて、口火を切った。
 「…貴方方が止めているのかと思いましたよ」
 「我らがか?馬鹿を言うな。そんなもの、しても意味がない」
 「大敗というのは、士気に影響するのではありませんか?」
 勝吏は不敵に笑った。
 「情報というのは使い方次第だ。それに、まだ『我ら』は負けてはいない」
 『我ら』という言葉に言外の含みを感じて、善行は勝吏を見た。
 「フン?貴様の想像通りの意味だが?」
 「やはり、初めから第四世代の弱体化が狙いだったのですね?」
 つまらなそうに勝吏は答えた。
 「確認する迄も無いだろう。破格の抜擢の段階で気が付くのが当たり前だ。それとも何か?まさか、1万人も殺さなければ、気が付かなかったというのか?そこまで愚かなら、栄えある第六世代の末席を汚す事もあるまい」
 死者の重みが、今更ながらに善行を責めた。
 確かに知らずに彼らを指揮した訳ではない。狙って喪う気は無かったが、上の思惑を汲んで、殊更に意図的な作戦展開をした。此処での消耗が後にどう影響するか、計算しながら戦っていた自分がいたのは、紛れもない事実として、何よりも心に刻まれている。

 だがそれは、これから自分が背負っていくべきもの。

 「…第四世代は、芝村の守るべき弱者ではない、と?」
 「やつらは賭けに負けたのだ。邪魔者には退場願うのが筋というもの。違うか?」
 「『戦う内に負けなくなる』という、紅い布の勇者も、居た様に記憶していますが…違いますか?」
 勝吏は一瞬目をしばたいた。
 「何が、言いたい?」
 「は、いえ、何も」
 「ほほう?これは驚いた。他愛のないおとぎ話を信じる男が元締めとは、死んだ一万人もとんだ災難だな!」
 勝吏が高らかに嗤う。
 善行は目を閉じた。
 身体が熱っぽい。額の包帯の下に、薄く汗が噴いているのを感じて、拭きたいと思った。
 「気分が悪そうだな。楽にしてやろうか?」
 勝吏の耳障りな声が響く。
 ゆっくりと、目を開き、徐に中指で眼鏡を持ち上げる。
 「連れて行った候補は、誰も覚醒しなかった様ですしね」



 しばらく、間が空いた。


 不意に勝吏が笑った。
 「フ。まあ、よかろう。貴様の身柄は我が預かる。処遇については、追って沙汰する。生かしてはやるが、減俸及び二階級降等くらいは覚悟しておけ。謹慎も解いてやろう。ふふ、女の世話でもするが良い」

 善行が出ていった後、程なく女性士官が入ってきた。
 「…よろしいのですか?」
 勝吏は手元の書類を繰りながら、答える。
 「フン。あの男は自分の商品価値をちゃんと判っている。証拠を連れ帰る辺り、ソツがないというか、抜け目がない。伊達に七家の一角を担う姓を持っている訳ではない、と言うことか」
 「勝吏様…?」
 「あれが戦場で「彼」に接触したという、誠に定かでない情報がある。我ら芝村にとっても、出し抜く事が至難の存在だ。噂に踊らされるのは癪だが、最強になるかも知れない札を、みすみす他の愚か者に渡せるか」
 「…」
 勝吏はこの情報を他者に先んじて押さえたからこそ、直前の会議で善行の罪を減じ、物好きと言われても、身柄を預かったのだ。「彼」が接触したと言う事は、「竜」に関わる駒の一つの可能性が高い。そんな大事なものを、余人に渡せる筈もなかった。処遇は既に決めていたが、こうやって実際に会う事で、人と為りを確認し、更に確信した。
 この男は使える。
 そこそこ目端も利くし、頭も回る。第四世代の件といい、竜候補の件といい、見せてきた手札の中身は可愛らしいものだが、作戦に対するこちらの意図を正確に読んでみせたのはなかなかに好評価である。
 「後はその者の才覚次第だ。奴が正しければ、奴が勝ち、そうでなければ与えられた職分に潰されて消えるだけの事」
 「噂が嘘でも実績を上げ得るのなら、拾いモノだし、能が無く激戦区へ移動するのは、『竜』を育てるには誠に理に適うというもの…どちらに転んでも損はない、という事ですか」
 「まあ、そんな処だ」
 珍しく雄弁なのは、意図的なリークなのかもしれなかった。おそらくは彼のライバルに対するあてつけみたいなものだろう。
 勝吏は立ち上がった。次の予定が待っている。
 「先ずは奴のお手並み拝見、というところだろうよ」


 善行は統合本部を出た。気が抜けたのか、はたまた芝村の毒にあてられたか、身体が重い。腹と額の傷が熱を持っているのが判る。
 (…帰還してからずっと、これにばかり意識をむけていたからな)
 手応えは、あった。その為の布石は事前に幾らも打ってきている。若宮に適度に関わらせ、萌に拘ってみせる事で、わざと「芝村」に自分と「青」との関係性を匂わせた。自分が間違いなく行きたい場所に辿り着くために、萌の存在を利用したのだ。左遷先は間違いなく約束の履行できる場所でなくてはならない。追いつめられた立場の士官でなくては「ゴミ捨て場」には行かれないだろう。そのためには自分の立場は充分使える筈だった。そして、目的地に送り込んでくれ、ある程度の自由を得る為に、向いている「芝村」を選ぶ。
 勝吏自らが出てきた事で、善行は自分の狙いが巧くいった事に安堵した位だ。第四世代についての糾弾は、他の、芝村ではない第六世代の上層部に向けて用意したものだったが、つい確認してしまったのは、死者達への罪悪感に耐えきれなかった結果なあたり、まだまだ自分も甘いという事だろう。
 (だが、これで…)
 目的は約束されたも同然だ。程良い形で認知された事になる。適度に小賢しい、事情は判っている指揮官。それで良い。怪我の疼きが巧い事演出に一役買ってくれて、ぎりぎりの甘ちゃん指揮官を演じきる事が出来、先ずは勝吏と「芝村」を欺く事に成功した。これで「竜」の養育係として、「ゴミ捨て場」に行ける。

 本来の目的を、押し隠して。

 (きっと、四面楚歌、なんでしょうね…)
 考えるだけでうんざりする。士官学校に入る前の様なのんびりとした日々は、もう当分、こないだろう。後は、始めた闘いを続けるしかなかった。

 だるい身体を駅のベンチに預けて空を眺めた。
 (素子さん…)
 勝吏に「女の世話でもするがいい」と言われた所為か、にわかに、彼女を思った。
 だが、今の自分には彼女と付き合う資格がない。
 遊びで付き合うならそれでもいい。しかし、彼女は自分とは違う。あの可愛い人を、こんな策謀の渦に巻き込む訳にはいかない。邪魔と判断すれば簡単に「排除」するのがあの一族のやり口なのである。不審な行為は慎まねばならなかった。

 それに、自分は最早、他人を構う余裕はない。

 他でもない、自分の「失敗」で、これから日本は激戦地になる。そうすれば一整備兵の彼女とは、二度と逢う機会もあるまい。
 善行は、軽い目眩をおぼえた。
 「病院に、寄ってから帰った方が良さそうですね…これは」
 病院には、萌が、居る。
 依代になってくれた、どこか、哀しい少女。
 彼女の事を思ったら、少し、気分が安らいだ感じがした。
 利用はしたが、その一件こそが彼女を守る札にもなると見越しての利用だった。事実、今の処、彼女に危害は一切加えられていない。尤も、何時まで効果があるのかは、判らない処だが。
 電車がホームに入ってきた。
 善行は、身体を引きずる様にして、電車に乗り込んだ。



-妬心幻想-2/13 
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