1.戦場
最後の言葉を受け取って、善行は瓦礫の山を昇った。
山の頂上に、白い着衣の少女が倒れている。
先程迄と違い、その手は、少女に似つかわしい大きさに戻っていた。
それで、「彼」が此処に居ないと、確信した。
「…本当に、行ってしまったのですね…」
呟いて、抱き起こし、思わず手を止める。
喉と鎖骨の境目辺りにちらりと見えた、生々しくひきつれた、紅い傷痕。
「…」
第六世代の女性には、超能力があるのが当たり前の時勢である。彼女の持つ何かが、あの「男」を呼び寄せた。
依代を求めた男に少女が応えたのか。
傷ついた、彼女の何かが助けを求め、それにあの男が、応えたのか。
形はどうあれ、あの男がこの少女と共に在ったという事は、彼女にも、ぎりぎりの何かが起こったのに違いなかった。
おそらく、自分の時の、様に。
傷痕を見ながら、そんな事を思った。
「しっかりしなさい、君!」
呼気を計る。指に規則正しい風を感じて安堵した。
幻獣が去ったとはいえ、こんな場所に長居は無用だ。さっさと脱出あるのみである。
例え自分が、敗軍の将であったとしても。
善行は玉砕のロマンチシズムとは無縁の思考回路の持ち主であった。
敵味方が残っているのなら、将の勤めとしてのしんがりでも良いが、勝敗は既に決していたし、最早守ってやるべき部下も亡い。責任問題の絡む軍事法廷は待ってるかも知れないが、此処で大敗を死んで詫びるつもりもなかった。それに、
今の彼は、死ぬ訳にはいかなくなっていた。
彼との約束を果たす為には、どんな事をしても生き延びなければならない。
死線を潜った身には、恥も汚名も誹りも恐くなかった。
ただ、この熱い想いの為に。
「よし。大丈夫そうだ」
少女を背負う。思った以上に軽い。
周囲を伺って立ち上がる。
一回だけ、空を仰いだ。
青い輝きが、目に沁みる。
だが、呼ぶべき名前を、自分は知らない。
「…それでは、行きます」
善行は鮮やかに瓦礫を駆け下りた。
2.少女
男の声が聞こえて、目が覚めた。
見た事もない、天井。
ココハ、ドコ?
声にしようとして、何も出ない事に気付く。
…そうだ。「消える」事にしたんだった。
「みんな」は止めたけど、「みんな」と一緒の方が、暖かい気がしたから。
助けて。誰か助けて、と心の内で祈るように叫びながら、喉を突いた。
それが、冬の話し。
今、此処はとても暖かい。
何?一体どうしたの私?
「…気が、付かれましたか?」
ゆっくりと顔を動かしたその先に、額に包帯をし、眼鏡を掛けた若い軍人がいた。
柔らかい声音は、その男のものらしい。
口を開こうとして、男に留められた。
「無理に話す必要はありません。失礼とは思いましたが、その傷については診て貰いましたんで、事情は察しています」
傷。
思わず喉を触り、何か包帯のようなものの感触に気付く。
「時を経た傷なので、完全には修復できなかったそうです。その包帯が取れれば、多少は声を出せるようになるとは思いますが、それ以上は…」
そこまで言ってから、男は声を改めた。
「失礼しました。状況を説明する方が先でしたね。此処は帝国九州方面軍所属病院。私は善行忠孝、階級は上級万翼長です。貴女は、大陸の戦闘に巻き込まれていた処を救出されたのですが…何か、覚えていますか?」
…タイ、リク?
何を言ってるのか、全然判らなかった。
そういう表情をしていたのだろう、善行と名乗った士官は、すまなそうな顔をした。
「そうですか…いえ、御存知無いのなら、結構です。貴女に負担を掛けるのは本意ではありませんので…」
善行は、サイドテーブルに置いてあったメモとサインペンを取って、差し出した。
「もし覚えていたらで結構ですが…せめて、お名前をお願いできますか?」
名前。
ペンを握り、記憶を辿って、表層に浮いてきた言葉を、メモに刻む。
「…石津、萌、さん?」
そのメモを切り取って、善行が確かめるように、読み上げた。
音になって、改めて名前を実感した。
こちらを伺う善行に、頷いてみせる。
男は微笑した。
「綺麗な名前ですね」
キレイ?
そんな事は今迄言われたことがなかった。
何故、そんな事を言うの?
筆記する訳にもいかず、目顔に問うてみると、善行は不思議そうにこちらを見た。
「どうしました?」
その問い返しが優しかったので、今ひとつの勇気を出そうとした時だった。
「上級万翼長殿」
ノックと共に、太く、はっきりした声が、外からした。
「わかりました、行きます」
善行はその声に応えると、萌を見て苦笑した。
「やれやれ、タイムリミットの様です。気にしないで、ゆっくり養生して下さい。その…」
一瞬言い澱んで、思い切ったように呟いた。
「私は貴女に、救われた様なものですから。貴女の記憶には無いかも知れませんけど、これは私の強引な恩返しとでも思って下さい」
照れた様に笑って、善行が出ていくのを、萌はささやかな後悔と共に見送った。
病室の外に出た善行を、若宮が待っていた。
現在の処本当は、謹慎の身の上の善行である。自らの怪我の治療の名目で、時折こうやって萌の病室を見舞えるのは、若宮の手引きに寄るものだ。いつもは昏睡している彼女を見守るだけだったが、今日は勝手が違った。
「…確かに、『石津 萌』でしたよ」
言いながら善行は、今し方手にしたメモの切れ端を見せる。申し訳なさそうに小さな字で書かれた、彼女の名前。
「日本の情報局は優秀だな…いや、第六世代のデータ管理は行き届いているという事か」
その口調に一瞬若宮は−彼の世代よりもっと管理されたデータを持つ男は、咎める様な表情をしたが、その常で即座にそれを消した。この後、間違いなくこの大敗の責任を問われるこの将校に、今更一つ二つ罪がのっても意味はないと判断したようだ。
その動きに、逆に反省する。自制が思った程効いてないのは、自分も完全に傷が治癒してない所為か。
「…気安すぎた。これは君に対する甘えだな、戦士」
「はっ、いいえ、お気になさらず。上級万翼長殿」
「それも近日中に『元』が付く。君ともきっとお別れだ。ただ、」
善行は目線を病室の扉に移す。
「この位のわがままは、まだ適うだろう…?」
甘い幻想なのかも知れないが、という言葉は飲み込む。
大陸の作戦失敗は、現在の処、秘中の秘という話である。だから彼女は重傷でもないのに特別個室扱いだ。敗軍の将たる自分にそこまでの権限があるとも思えない。軍人ならともかく、一民間人が記憶操作すらされずに置かれるとは考えにくかった。最悪、ラボ行きも考えられる。
だが、若宮は頷いた。
「はい、上級万翼長殿」
あの日、善行は少女を背負って帰還すると、自分の手当もそこそこに、少女を「大陸で生き残った民間人」として無理矢理軍の病院に担ぎ込み、ついでに若宮に連絡を取って身元を洗わせた。その結果、少女の名は「石津 萌」、学校での虐めを苦に自殺未遂を起こし、入院中に行方不明になったのが一年前という事が判明した。調書によれば、萌には「死者の魂を見る・死者の声を聞く」といった怪しげな能力があり、それを周囲に疎まれた末の自殺未遂だった様だ。喉元の傷はその時に鋭器で突いたもので、声帯を傷つけていた。軍医は「声は出るようになるが、傷が古いモノだし、以前ほど話せるかどうかは本人次第だろう」と言っていた。それよりも深刻だったのは、自殺未遂前後の話で、彼女は既に正気を失っていたという。何が彼女を追いつめたのかは知らない。ただ、心を壊した彼女だからこそ、「彼」の依代になり得たのだし、好んで共に在ったのだろう、とも思えた。
尤も、「彼」の事だから、たまたま、なのかも知れないが。
「彼女、どうしますか?」
若宮が問う。
「先程目を覚ましたのですが、正気かどうかは、まだ判りません。名前を正確に書いてきたのと、伺える表情や反応からは、正気に返っている様な気もしますが、素人の即断は禁物ですね。様子を見てやって下さい…あの地域で、私を除く、唯一の生存者には違いありませんから」
「はい。判りました」
行方不明になった萌が、何故大陸にいたのか、なんて事の不自然は、若宮は一切問わない。例え思っていたとしても、そういう風に訓練されている男なのだ。それに、失踪後の足跡を調べたところで、「彼」の介入によって、全ては消されている筈である。あの芝村一族でさえ追う事は至難であろう。それが判っていたから、善行も殊更には言わない。ただ、依代となってくれた少女を、守ってやりたかった。
あの男の憑いていない彼女は、多分、無力だろうから。
「それから、上級万翼長殿に、上層部が早期の出頭を求めております」
善行の顔が、引き締まる。
「…いよいよですか。あと一回ぐらいは彼女に会えると思っていたのですが、仕方ありませんね」
「近々出頭命令を送るので、リングは外さないように、との事です」
「わかりました。有り難う、戦士」