「やはり、助けられませんでしたか…」
「そりゃあ、相手は竜ではありませんからね。適合性の問題もある。どだい無理なんですよ。第六世代の細胞は毒素が強過ぎて、オリジナルの細胞を破壊してしまう。その辺りは私より貴方の方がよくご存知でしょうに」
「それでも、と望むのは…やはり、わがままでしか、無いのでしょうね」
「努力はしていますよ。ですが、これははっきり言って退化と言える状態です。私としては、増える事以外の意味を見いだせないこれは、無駄としか思えません」
「無駄、ですか」
「他でもない彼女の望みだ。私だって努力はしている。だが、研究者としては意味がないのですよ。出来た処で十中八九何らかの異常を孕んでいる事でしょう。進化発展という意味なら第六同士の交配の方が何倍も興味ある結果が引き出せそうですからね」
「…求めてはいけない、という事なのですか?」
「世界に逆らうとは、こういう事なのかも知れません」
病室に向かう足取りが、重い。
どうしても、彼女との間に子供が欲しくて、色々と手を加えてみたけれど、結局全ては水泡に帰した。
これから彼女にそれを告げなくてはならない。
扉迄の距離はこんなにも短いのに、このたった一枚の板が、とてつもなく、分厚く、重い。
覚悟を決めて、扉を開けた。
「遅かったな」
この一ヶ月、らしくない程に不安定な感情の推移を見せた彼女。
生命を宿すとはこんなにも壮絶なものなのだ、と思い知らせてくれた。
メンスで憂鬱になるのをブルーデイと言うのなら、これはさしずめウルトラマリンデイだ、と言ったのは、誰だったか。
「…駄目だったのだな」
こちらが口を開くより早い答え。
「どうしてそう思うのです?」
「らしくないからな。そなたの口が重い事などひとつしか思い浮かばぬ」
そういって、彼女は静かに笑む。
「やはり、無理だったのであろう?」
胸が、痛い。
だが、いつもなら簡単に紡げる筈の嘘も軽口も、錘が付いたかの様に重い唇に阻まれて、欠片すら出て来ない。
「…っ」
「そなたの方が泣きそうだぞ。無理をするな。」
下手な軽口を叩かれてしまった。
そんなにも自分は、酷い顔をしているのだろう。
普段は簡単に利く感情制御が、全く働いていない。つまりはそれ程のショックだったという事だが、過去の経験を考えたら、この程度の事で動揺する自分が可笑しかった。
してみると、モノ以上には昇格しているらしい。
らしくもなく。
「…覚えて、いるか?」
ぽつり、と舞が、呟いた。
「…はい?」
間。
少しだけ頬を赤くして、視線を彷徨わせていたが、意を決した様に、口を開く。
「私が、初潮を迎えた日だ」
ぴんときた。
その日、ベッドを血の海にして、涙を堪えて怯えていた、舞。
第六世代は生理の存在を知らないものも多い。教えられる者は限られているから、誰も気付かなかったのだろう。
汚れたシーツと衣服を取り返させて、これは病気ではないと説明したのは自分だった。
むしろ、喜ぶべき事なのだ、と言って、一存で赤飯を炊かせ、たかが餌を甘やかすなと、大家令に叱られた事も一緒に思い出して、少しだけ笑った。
「わ、笑うな。私にとっては一大事だったのだぞ?」
それを別の意味にとったらしい舞は目を逸らす。
「私は病で此処にずっといて、誰もそんな事は教えてくれなかったから、それはもう、驚いてな…」
顔どころかうなじ迄、赤い。
「怪我の血ならば恐れぬ。得体の知れない状況だったから恐れたのだ。痛くも無いのにうんと出て、止まらぬ。それにまだ私は幼かった」
ば、と向いたまっすぐな、瞳がこちらを射付ける。
「そなたが来てくれる迄は死ぬかと思ったのだ」
その表情が、す…と優しいものに、変わった。
「そなたが私の足を洗い、拭いて『これは喜ぶべき事なのですよ』と言ってくれたのが、私は本当に嬉しかったのだ」
何処か母性を思わせる、柔らかい、微笑。
「私はな、そなたを嫌な奴だとずっと思っていたのだよ。白衣を着て、注射を打ったり苦い薬を飲ませたりする。勘違いするでないぞ?私とて芝村だ。そんなものは平気だ。平気だが、毎日にでもなると流石に嫌になる。そういう事だ」
だがそれは、とても、哀しい。
「その時、子孫を残せる様になった事を教えてくれたそなたの為に、そなたの子を残してやりたいと、強く思った。だから、何とかしたかったのだがな…」
唇を、噛む。
「…悪いのは貴女では無い。貴女の身体は私なんかの為にあるものではないのです。貴女が産むべきは、第六世代の子供では無い!貴女は人類最後の希望、故に」
「よせ!その話は済んだ筈だ…私がそなたを選んだ時に」
絞り出す様に紡いだ言葉は、彼女の力強い否定によって打ち消される。
「…舞」
「謝るなよ?そなたらしくない」
不敵な、笑み。
そこにあるのは、自分を魅了した、少女のそれ。
こんな時でもいっぺんに、空気を変えてみせる。
「では、どうしたらよいのです」
「簡単だ。諦めなければ良い」
…
…
「…はい?」
「そなたにそんな顔が出来るとは思わなかったぞ」
余程間抜けた顔をしていたのだろう。
舞は、声を出して、楽しそうに笑った。
そして、
笑いを収めた後、至って生真面目な顔で続けた。
「私は、諦めが悪い」
だから、
「不可能如きは障害にもならぬ」
言い切った。
極めて理不尽な論旨展開を、呆気に取られて拝聴していたが、慌てて我に返る。
「ま、待って下さい!不可能と言う言葉の意味を解っているのですか?!」
「無論」
「では」
「何故、と聞くか?そなたが?」
ふん、と鼻で笑う。
「不可能を可能にするのは我等の十八番だと思わぬか?」
度肝を抜かれた。
こんなに聞き分けの悪い娘だったか、と思う。
「…貴女はもっと、現実的だと思ってましたよ」
ようやっと、それだけを言う。
出来もしない事を頑張れば出来る等と言う愚劣さや無知故の頑迷さとは、一切無縁の娘だと思っていた。
だのに、眼前の少女は、傲然と胸をそびやかし、此方を睥睨している。
「存分に闘いもせぬ内から弱音を吐くか」
だから、頭に来て、叫んだ。
「何を馬鹿な事を言ってるんです!貴女が私になれない様に、どんなに頑張ったって、出来ない事は…」
否、叫び、かけた。
何かが引っかかって、言葉が喉に絡む。
「どうした?反論して良いのだぞ?」
何を馬鹿な、と思いつつ、彼女の口から出れば、少しだけ、信じたくなっている、自分が居た。
ふ、と、舞が笑った。
「運命に抗う、という難事をこなした我らだぞ?それから比べれば、さほど難しくはあるまい」
どれ程の馬鹿げた難事か知りもしないで言ってくれる、と思ったら、自然と笑いがこぼれてきた。
全く、この娘は。
「そう、その顔だ。そなたは、そうでなくてはな」
最早、笑うしか、無い。
運命に抗う気なら、とことん最後迄抗え、という事なのだろう。
ならば、それもよし、だ。
腹の底でレールを敷いた男に頭を下げる。
彼女が良ければそれで良い、と思い極めてしまった、から。
彼女が幸せだと思ってくれるなら、彼も許してくれるだろう。
例え行く道が、鉄条網と硝煙に満ちた世界だったとしても。
「解りました。貴女のわがままに、つきあいましょう、姫?」
さらり、と爽やかな風が、吹いた。
−Ende.−