2.
「がは!」
床に、血をぶちまけた。
思わず片膝を付く。
それを見下ろして、厚志はつまらなそうに、むしった腕を投げ捨てた。
「残念だよ。君はもう少し利口だと思っていたのに」
肩で息する瀬戸口に比べ、厚志は息一つ乱していない。
「ああ…俺もだ」
「そんなに僕が気に入らない?昔はあれ程可愛がってくれたのに」
ふふ、と笑った顔に、昔の面影がよぎる。
「…お前さんは変わっちまった。お姫さんを失ってから」
厚志の目を見つめて。
「お姫さんが居た頃は、無益な殺生なぞしない、可愛い坊やだったじゃないか」
不思議そうな、顔。
「君はよく判らない事を言うね」
くるり、と瀬戸口に背を向ける。
「無益?そんなものはないよ?」
歌う様に。
「あるのは僕の役に立つか、邪魔か。それだけ」
躍るような、歩み。
「勘違いしちゃいけないな。世の中にあるのは、僕の邪魔をする、目障りなモノとそうでないものの二つだけだ」
再び、振り向いて。
「何れ前者は全て駆逐しちゃうけど」
それはもう、凄惨なまでに、美しい、笑み。
瀬戸口は身震いした。
言ってる事は外れてるのに、抗えない程に惹き込まれる、この魅力はどうだ。
だから、口にしたのは、別のこと。
「今のお前さんを見たら、なんて言うだろな」
厚志の目が、細められる。
「貴様にそんな言葉を言う権利はない」
その動きは、瀬戸口にも、見えなかった。
「げふ!」
燃え上がる焔を纏った厚志の腕が、瀬戸口の胸を貫いていた。
「ぐが…は…」
だらだらと流れ落ちる血が、厚志の腕を染めていく。
喘ぐ様にして、ぱくぱくと、瀬戸口は口を動かした。
「何?まだ何か、言いたいの?」
渾身の力を込めて。
「みぶや、もこう、したの、か…?」
「何の話?」
そこにあったのは、心底不思議そうな顔。
「煩いなぁ…」
呟いて厚志は、ぐりり、と腕を回した。
「あがあああああああ!」
おめき叫ぶ声に、細められた目。
「君が、この程度で死なない事は知ってるよ?」
笑み零れた口から紡がれる、優しく、楽しげな、声。
「だから、ちゃんと、とどめを刺してあげる」
反対の手に現れたのは、見なれた文字の躍る、白い札。
「誰かに貰って忘れていたんだけど、こんな処で役立つとはね」
そんな、ものなのか、お前には。
ヒトというのは、その程度のものなのか。
瀬戸口の中で何かがぷっつりと、途切れた。
戦うのも、抗うのも、何もかもが、無意味に思える。
−あきらめないでいれば、かならずときはきます。
戦いながら、そんな事を言った女が、居た。
殺された娘によく似たその女は、自分を捨てるようにして、死んだ。
そして、
千年待った結果が、これ。
「絶望するにはまだ早い」と言った男を思いだして、笑う。
期せずして言われた同じ言葉に、似ても似付かぬ二人が重なったのが、可笑しくて。
もう、充分だ。
「あしきゆめは、所詮よきゆめなんかにはなれないんだよ」
瀬戸口は、厚志の声を、何処か遠くのさざめきの様に、聴いていた。