3.閉じられた輪(承前)

 瀬戸口の気配が消えて大分経った頃、善行は訓練を切り上げて、プレハブの前に戻ってきた。シャワーを先にするか、食事を先にするか、思案しながら空を見上げる。
 と、


 「精が出るな、善行」


 プレハブの屋上に、舞とおぼしきシルエットが、あった。
 善行は笑い含みに溜息を付く。


 「やれやれ、此処は私の年齢や階級は関係ないらしい。さっきから呼び捨てばかりだ」
 「なんだ。形だけの礼が欲しいのか。お前はそんな下らぬ事に拘る馬鹿共とは違うと思っていたが?」
 「冗談ですよ。貴女も、訓練ですか?」
 「…いや」


 舞は、何やら考えるような仕草をしたが、再び顔を上げた。


 「−上がってこないか。話が、ある」


 その声に、微かな逡巡を感じて、善行は、少し考えた。


 「…良いんですか?」
 「何がだ?」


 その余りにあっけらかんとした問いに、気が抜けて、屋上に上がる。
 屋上の舞は、真顔でこちらを覗き込む。


 「何が良いのか、だと?一体何の話だ善行」
 「…何でもありませんよ。そちらこそ、何の用です」


 舞は、少し沈んだ様な顔をして、視線を市街地に向けた。


 「少し…判らなくなってな…」


 その背中が少し、小さく見える。


 「善行。私は、今迄自分の闘いの為に、迷った事はない。芝村の名を持つ以上、人の上に立つ我らは、少なくとも守るべき民の前で迷う訳にはいかない。迷う事は人々を不安にさせる。それは、我らにあってはならぬ事」


 きゅ、と手が握られる。


 「だが今私は迷っている。芝村にあるまじき事だが、心が揺らぎ始めている。果たしてこの闘いは、正しいことなのか、とな」


 彼女の目は、遠くでチカチカと輝いている空を、見据えている。
 その下では今、『夜の闘い』が行われている事を、善行は知っていた。
 瀬戸口と来須がその力を以て参戦し、更に、萌の語る『古きものたち』が、共に幻獣と戦い続けている。
 それは、ヒトの知らぬ、世界。


 「間違うなよ、善行。戦うからには、我が身が楯となり、先陣を切る。この作戦を進める事にも迷いはない。投入される兵共について、感傷的に思い悩む事も、我らにはない。人道?正義?そんなものは我らには無縁だ。私の悩みは別にある」
 「…」
 「善行。この戦いは、定められた道なのか?これもまた、歴史に予め記されたものなのか?」
 「…何故そう思うのです」
 「意図を感じる。それも、明白な悪意だ」
 「誰かの手の平で、踊らされてる、と?」
 「これがヒトの決めた定めならば、抗えば良いだけだ。だが、好んでその道へ向かわされている様な気がしてならぬ。策を考えれば考える程、深みにはまりこんで行く様な気がしてならないのだ。私は自分が好き勝手に生きる為に、この策を立てたのであって、定められた道を走る様に、レールを敷いたのではない!」


 燃えさかる炎の如く、ぎらぎらと輝く眼差しに、善行は再び、強烈な力を感じた。
 ともすると、引きずられそうになる自分を、必死に押さえて声を出す。


 「何故それを、私に?」
 「以前厚志が言っていた。お前は我らの知らぬ何かを知っていそうだ、と」
 「待って下さい。私は貴女の様に芝村でもなければ、ののみさん達の様にブルーヘクサでもありません。一介の只人でしかない私に何が判ると言うのです?」
 「何を寝惚けている。お前は芝村に最も近しい七家の姓を背負って居るではないか。それだけで充分お前も芝村だと思うが?」
 「貴女方とは違う。好んで背負った姓ではありません」
 「確かにな。だが、お前は我が従兄弟殿に気に入られている。あれに好かれると言う事は、それだけで随分と芝村であろう?」
 「それは初耳ですね。彼にとって私など、沢山の捨て駒の一つでしかない。随分と買い被ってくれたものです」


 不意に舞は、小さく笑った。


 「…まあ良い。それならそれで構わぬ。ならば善行、その只人の勘でどう思う?私の読みは間違っていないか?」
 「さて…」


 濁した語尾に被せる様に、激しい言葉が続く。


 「言っておくが、思考停止は許さぬ。『只人だから判らぬ』等とは言うなよ。お前の最大限の思考で以て答えて見せよ」


 答えを先回りされて、善行は内心苦笑した。


 「参りましたね…私には難しい問題です。ですが」


 考えながら、言葉を継ぐ。


 「芝村的に答えるなら、どんな策謀が隠れていようと、貴女が正しければ、勝てるのではありませんか?」


 舞は振り返って、善行を見た。


 「これが他者の定めた運命だと言うのなら、その不屈の強い意志で、運命ごと、押し潰してしまえばいい。逆に彼等の思惑を利用する位の心積もりでいれば、そうそう恐れる事もないと思いますよ」
 「…それは、経験か?」


 善行は眼鏡を押し上げた。


 「さて、どうでしょうね」


 舞はそのまま、ニッ、と笑った。


 「お前の考えは、悪くない。確かに、その通りだ」





 舞と別れて屋上を降りた処に、人影が、あった。


 「…お盛んね」


 素子だった。


 「さしずめ、深夜の逢い引きって処かしら?」


 言葉の裏に何かの隠れた、絡みつく様な物言い。


 「これ、速水君に言ったら、どうなるでしょうね」


 あんな物騒な語らいでも、彼女には甘い囁きに聞こえるらしい、と善行は内心肩を竦めた。


 「…貴女もつまらない事に、時間を割いてますね。私など見ている暇があったら、仕事をしなさいと言ったでしょう」
 「仕事は懈怠無く執り行っているわ。貴方に言われる迄もなくね」
 「それは結構」


 素子は、善行を睨み付けた。


 「…貴方、何を企んでいるの?」
 「企んでいるなんて人聞きの悪い」
 「貴方、芝村の小娘を誑かして、速水司令をどうにかしようとしてるんでしょ」


 またこの話か。善行は思わず苦笑する。


 「やれやれ、何か悪い噂でも流れてるんですかね。さっきも瀬戸口君に似た様な事を言われましたよ。何処をどうしたらそんな噂が流れるんです?私にそんな力など、ある訳無いじゃありませんか」
 「相変わらずね、嘘吐き男。しれっとそんな台詞が言えるんだから」
 「酷い濡れ衣だ。出何処は何処です?」
 「貴方には関係ないわ」



 何となくぴんと来た。



 (…速水君、か)



 あの男なら、この位の事は平気でやるだろう。それだけの能力は持っている。


 (−「舞に近付くな」という警告だな…)


 『噂』による、意図的な、監視。
 自らの手を煩わせる迄もなく、意図した事をやってのける人間を利用する。
 確かに自分には、最適の人物が、此処にいる。



 それはもう、哀しい位に、自分の役回りを認識しない、人物が。



 善行は、素子を見た。


 「何時迄私を見ているんです。貴女とは、とっくに終わった筈だ…いい加減にしなさい」


 素子の頬に、朱が走る。


 「しょわないでよ…っ!」
 「貴女程の人なら、他にもっと良い男が居るでしょう?そう、例えば…若宮君とか」
 「馬鹿言わないで。あんな、デリカシーのない男」


 善行は軽く微笑すると、素子の側を通り過ぎる。


 「彼にデリカシーが無いというのなら、私なんか尚更ですね」
 「!」


 素子は愕然とした表情で振り返り、その視線で男を追った。
 善行は振り向かない。


 「…」

 不意に、その背中が立ち止まる。


 「…貴女にはもっと、良い人生を送る権利が、ある」
 「…っ!」


 素子の口が、その名を呼ぼうと開かれた、それより早く。



 「私の事など、忘れなさい」



 善行は再び歩き出し、振り返る事はなかった。



−To be continued.−



-喪失 1/f Refrain.- 10/x
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