やっと素子が現場に復帰した。
「退院おめでとうございます、先輩」
「有り難う」
司令・スカウト二名を含むラインの半数が生命を落とした程の、大敗を喫した先日の戦闘で、只一人整備車を最後まで守ったその結果である。崩壊した体制を立て直すべく、新司令がテクノの半数をラインに動かして、小隊再編を行ったのが昨日の事。人手の足りない現状に、戦車整備のプロフェッショナルである素子の復帰は有り難いことこの上なかった。
「でもよくこんな短期で復活したよねえ、班長」
勇美がこそっと精華に呟く。
そうなのだ。
最後に精華が見た素子は、利き手である右腕を失い、半身を朱に染めていた。萌から聞いた話では、収容された時には半身を失って、生死の境を彷徨っていたらしい。それでは流石のラボでも数日で動ける処迄回復させるのは難しい筈だ。ごく小さなパーツのクローン再生だって日数が掛かる。それが異例の早さで復帰してきたのは、5121小隊の立場と将校特権がモノを言い、ある種の偶然と幸運の賜物という事だった。
ある種の偶然、って何だろう、と精華は思ったが、それについては救護班も萌も、意味ありげな顔をするだけで、教えてはくれなかった。
「色々迷惑掛けちゃったわね。今日からは私も頑張るから」
「余り無理しないで下さいね、先輩、まだ病み上がりなんだし」
「ふふ。有り難う、森さん。でも大丈夫よ。確かに新しい手足にはまだ馴染んでないけど、一刻も早く勘を取り戻さないと。戦局は待っちゃくれないから」
そう笑う素子の顔にはまだ、若干のやつれが残る。だが、その美貌を些かも損なっていないのは、流石に彼女の意地かも知れなかった。
「…先輩」
「ほら、そんな顔しないの。これでも前より筋力付いてるのよ?」
精華はそれ以上何も言えなかった。
その後の素子を見て居ると、確かにまだ新しい手足には馴染んでない様で、工具を取り落としたり、細かい作業に時間が掛かったりしているし、「またマメタコ作り直しだわ」などと呟いているのを小耳に挟んだりした。だが、その一方で本人の申告通り筋力は上がってる様で、整備女子二人がかりで取り回す重さの部品を片手で簡単に持ち運ぶ。勿論男子整備兵の居る前では決してやらない処が、実に素子らしいのだが。
「ねえねえ、気が付いた?」
夕方、味のれんで食事をしている時に、勇美が言ってきた。
「班長の手足。あれ一寸長さ違わない?」
「え…?」
「歩きにくそうにはしてますよね」
真紀が相槌を打つ。
「どうもさ、右っかわの方が手足とも一寸長くて大きい感じなんだよね」
「そう、なの?」
勇美は大仰に肩を竦めてみせた。
「なーんだモリリン見てないのー?先輩先輩言ってくっついてるんだから、とっくに気が付いてるかと思ってたよ。駄目だなー」
そのまま大きく溜息を付いて見せて、畳みかける様に言う。
「そんな事言われなくても気付くのが女の子ってもんでしょ?見てなきゃ駄目じゃん。あーあもう、モリリンはー」
「そ、そったらこと言ってもウチ、今日、先輩と、一緒に仕事、しとらんし…」
気付かなかった自分が恥ずかしくて、一寸語尾が小さくなる。
だが勇美はそんな事お構いなしに続けた。
「あれはさ、ボクの見るところ、ラボのミスなんじゃないかな?」
「ミス、ですか?!」
真紀の相槌に勇美が勢い込む。
「そうだよ。きっと急がなくちゃ行けないーって余りに促成培養でやっちゃったんだよ。だってさ、知ってる?班長さ、右手、ずっと手袋してるの」
それには精華も気付いていた。軍手をしているその下に、薄手の黒い手袋をずっとしていて、それを外す処は一回も見て居ない。手を洗うのも何気なくその手袋をしたままだったのを目撃している。
「ボクさ、食事前に脱いで洗わないのか聞いたんだ。そうしたら、『一寸傷が残ってて』だって。下っ手な嘘だよねえ。ラボで複製して貰ってる筈なら、あの下に怪我があるなんて誰も思う筈無いじゃん」
「新井木さん」
素子が入り口に立っていた。
「っげ」
勇美が身体を縮込ませる。
「先輩」
「貴女達、こんな処で油を売ってる暇は無い筈よ。特に新井木さん。今日貴女は戦車兵としての特別訓練が待ってた筈でしょう?先生と司令はカンカンだったわよ」
「あっちゃー」
「これ以上罰則を増やしたくなかったら急いでいく事ね。森さん、田辺さん。貴女達ものんびりしている間は無くてよ」
「はぁい」
「…」
勇美が代金を置いて飛び出していくのを目の端にとらえながら、精華は何となく素子が正視できなくて、俯いた。
「私はこれから此処で食事して行くから…ん?どうしたの?」
「…」
やはり、聞けなかった。
「復帰初日に出撃が無くて助かったわ」
女子将校専用官舎の風呂で、素子は一人呟いた。
「流石に一寸疲れちゃったし」
湯船に浸かってうーん、と伸びをする。
「はぁ…」
ぱしゃん、と伸ばした腕を湯船に落とした。
「…」
その右手を、湯からゆっくり持ち上げて、素子はじっと眺めた。
「…流石に、整備なんてやった事の無い、手よね」
新しいマメの出来た掌。
その部分が堅い皮になっている、左手と並べてみる。
(ラボで複製して貰ってる筈なら、あの下に怪我があるなんて誰も思う筈無いじゃん)
勇美の言葉を思い出して、小さく笑った。
「よく見てるわよねえ…あの子」
左手でそっと、右手をなぞってみる。
明らかに左とは、形も、色も異なる、右。
それは、素子の身体には大きくて、不自然なもの。
柔らかな女性のそれを思わせる白く小振りな左の手足とは対称的に、浅黒く締まった−そう、それはまるで男のそれを思わせる、しっかりとした大きい手足が、彼女の右側に収まっていた。
あの時。
(一刻を争うぞ!このままでは複製する前に死んじまう!)
そう叫んだ軍医の言葉が夢うつつに聞こえて、自分はもう死ぬんだ、と思ったその時。
(自分の…使って、下さい)
男の声が聞こえた。
(…の方が、死に、近い。だが、自分の…能なら、彼女の身体を、一時的に…る事は、出来る…です)
言葉はとぎれとぎれにしか、聞こえなかった。
だが、その声は、聞き違える筈もない、男の声だった。
(このままな…死者が、二人になるだけ、ですが…自分の、身体を使えば、…くとも、彼女は助け…)
最後迄言葉を聞く事無く、意識は深く沈み、次に目覚めた時には、この不格好な腕と足が、自分の右側に接続されていたのだった。
軍医は一応彼女の身体に合わせて多少のサイズ補正をしたと言い、新しい手足の複製が来る迄の間に合わせに、今の手足を使って欲しい、と言った。
(君は特殊技能を持つ、優秀な整備将校と聞いている。失うのは惜しいとの芝村からのたっての要請で、このような仕儀になった。命拾いしたな)
そんな言葉を上の空で聞いたのは、数日前の話だった様に思う。
「…フ」
素子は左手で右手を、いとおしむ様に持ち上げた。
その掌を、頬にあてて、そのまま口付ける。
あれ程欲しいと思った温もりが、今、この手の中に、ある。
「…愛してる」
右の掌から腕に、頬を摺りよせて、うっとりと呟いた。
その指を端からそっと舐め、中指を第二関節までくわえてみる。
きゅぽん、と軽い音を立てて、口から抜いてみた。
つ…と細い唾液の糸が、きらきらと光って落ちる。
素子はうっすらと笑った。
濡れ濡れと光る指先に、再び口付けてから、その手を左手で胸に這わせる。
「ふふ…どう…?柔らかいでしょう?」
右腕に話しかけながら、右の掌で、その乳房を包み込むようにする。
自分で触っている筈なのに、身体が痺れる様に震えた。
「あ…」
身体は何時でもこうされたかったのだ、という事を今更ながらに思い知った、その目から一筋、何かが流れた。
お湯に温められただけではない、熱い火照りが身内を駆けめぐり、ひりひりする様な狂おしい情熱が、身体の芯を責め付ける。
「ああ…」
浮かされた熱を吐きながら、淫らな期待と共に、その手をゆっくりと下に下ろす。
湯の中でもそれと判る粘りとぬる味が、自らの欲望を露わにしていく。
「いやらしいのね、素子…そんなにこの手が欲しかったの?」
自分で自分に呟いて、その自虐感にまた、欲情した。
「そうよ。だって私は彼を、欲しかったんだもの」
自答して、その指を茂みの中に這わす。
「私だけの彼に、したかったのよ」
そのまま、ゆっくりと中へ、挿入する。
めくるめく快感が、全身を、駆け抜ける。
「はあ…ぁ…っ」
愛してる、あいしてる、アイシテル−
この手足は、私のモノ。
私だけの、宝物。
共に在る為の、もの−
−END.−