サクラ・チル
サクラ・チル
「高機動幻想ガンパレード・マーチ」(アルファ・システム)より 
2002-04-08 公開

 その援軍要請が来たのは、自分達の戦いが終わった直後の事だった。
 電話の向こうは女性の半泣き声だった。
 「こちら5121」
 「あ…っ…た、助けて…っ…助けて下さい!」
 うわずった声に、善行は思わず顔をしかめる。
 この電話を知っていると言う事は、兵士である事だけは間違いない。だが、この取り乱しぶりは兵士にあるまじき状態だ。普通援軍要請を行うのは司令、つまりある程度の戦闘経験者だから、此処迄酷い事は先ず有り得ない。
 「それでは判りません。所属と名前、場所を言いなさい」
 「あ…す、すみません」
 女性はすぐ近くの場所を示し、自分達は戦地に取り残された整備兵である事を伝えてきた。
 「貴女が連絡してきたという事は、貴女の隊のラインオフィサーは全滅という事ですか?」
 「それは…その」
 「はっきりしなさい!一刻一秒を争うのでしょう?」
 「…し、司令が、逃げてしまったんです!」
 「逃げた?」
 声に思わず剣呑なものが混じる。
 「は、はい。うちのエースが撃たれて、動揺したまま…ああっ!」
 「わかりました。すぐ行きます。それまで何とか持ちこたえなさい!」
 善行は受話器を置いて、瀬戸口を見た。
 「発信源は掴んでいますね?全員に伝達。これから援軍に向かいます」


 幻獣に取り囲まれた友軍を救うのは、若干骨だったが、熊本県下で一番の撃墜数を誇る速水・芝村コンビを抱える5121小隊である。幻獣を即座に撤退に追い込み、彼女達を救出した。全員が女子校出身の整備の初年兵で、彼女等の上司である整備班長は、電話の直前迄奮戦し、命がけで彼女達を守ったらしい。
 「ありがとう、ございます」
 礼を言った少女の声に、聞き覚えがあって、善行は顔を見た。
 「貴女が、電話してきたのですね」
 涙と鼻水に濡れてはいたが、気丈そうな顔だった。
 「…はい」
 「本来誉めるべき状況ではありませんが、初年兵にしてはよくやったと言っておきます。」
 言葉を継ごうとした、その時だった。
 「!」
 物陰から一人の少女が飛び出すのが見えた。
 纏っているのは久遠。
 善行は遠目に百翼長の階級と赤いスカーフを視認した。
 声を掛けていた少女が叫ぶ。
 「…司令!」



 パン。



 「!」
 軽い音が響いて、駆け出した少女が横倒しになった。
 そのまま、頭から血を出して、ビク、ビク、と痙攣する。
 「あ…あ…!」
 声を掛けられていた少女が、悲鳴を上げる。
 善行の銃口から、薄い紫煙が立ち上っていた。
 倒れた少女の虚ろな眼差しには、何故自分がといった疑問の色が残ったまま、次第にその動きを止めていった。
 「司令!」
 善行は、周囲から上がる非難のどよめきを解さぬように、ホルスターに銃を収めた。
 そのまま蒼白になって死体を見る少女に向き直る。
 「敵前逃亡は、重罪です。まして小隊責任者である以上、遅かれ早かれ彼女には銃殺刑が待っている。軍隊で人の上に立つという事は、それだけ部下の命に責任を持つという事です。彼女はそれをないがしろにした」
 「!」
 無表情に語りながら善行は、倒れてる少女が少し、話してた少女に似ている、と思った。
 「この赤いスカーフにはそれだけの意味と重みがある。ああなりたくなかったら、強くなりなさい。−ああ、遺体回収をお願いします」
 最後に多目的リングに連絡を入れると、善行は踵を返して、指揮車に向かった。

 「…殺す事は、なかったんじゃないのか?」
 気まずい雰囲気の漂う、帰りの指揮車内で、瀬戸口が口を開いた。
 連戦で疲労したのか、ののみは寝息を立てている。
 「…なるほど。道理で此処の空気が重い訳ですね」
 「勿論視線だって痛い筈さ。みんなそう思ってる。正常な精神の持ち主なら、誰もが思うことだからな」
 「シヴィリアンならそれで良いかも知れませんが、私達は軍人ですからね。頭の無能は即座に命に影響する。正義も人道も、生き延びてこそのもの」
 「同族を、それも友軍を殺して平然としている様な人種には、反吐が出るね。あんたはうちの芝村より、余程芝村っぽいな」
 瀬戸口は低く、吐き捨てた。
 「俺はあんたみたいな奴が大っ嫌いだよ」
 善行は悪びれない。むしろ薄く笑った。
 「結構。好かれようとは思ってませんよ」


 その夜。善行は戦闘報告書を書く為、一人、指揮車のデータを吸い上げていた。
 瀬戸口のいう通り、出撃組は、非難の視線こそ投げるものの、誰一人として声を掛ける者はいなかった。
 原に至っては、
 「堕ちたものね」
 と、たっぷり嫌味を込めた言葉を言い捨ててくれた。
 ただ、舞が仕方ない事だと言ってくれ、スカウトの二人が気の毒そうな視線を向けてくれたのみである。
 「やれやれ…」
 「司令殿」
 善行は顔を上げた。
 指揮車のハッチから、若宮が顔を覗かせていた。
 「何でしょう?」
 「…いえ。一寸良い夜なもので…」
 いつも明快な若宮にしては、珍しく歯切れが悪い。
 善行はそれとなく察して口を開いた。
 「ああ、すぐ終わります。待ってて下さい」

 善行はデータを吸い上げ終わると、指揮車の外に出た。
 外では若宮が、立ったまま待っている。
 「お待たせしました。行きますか?」
 「いえ、し…委員長。上を御覧下さい」
 言われて善行は頭上を見上げた。



 青い月の光に淡く浮かび上がる、ぼんやりと、柔らかい薄桃色の光。
 夜目に優しい、乳白色の、影。



 「…桜、ですか…」
 思わず二三歩、近付く様に前に出て、感嘆混じりに、呟く。
 若宮が、静かに笑みを浮かべて、頷いた。
 「はい」
 「ああ…こちらでは、こんなに早く、咲くのですね…」
 「御存知、ないのですか?」
 「熊本では戦争しかしてませんから。こういったものを愛でるゆとりは、やっと最近出来たようなものです」
 善行は寂しそうに笑った。
 「…」
 徐に、口を開く。
 「…昔はよく、授業を抜け出して、公園に昼寝をしに行ったものです。公園には、四季に合わせて咲く様に、調整されて植えられた花があって…それで季節の移り変わりに気付いたりしてました」
 若宮は黙って桜を眺めている。
 聞いているのか、聞かないふりをしているのか、見た目には判らない。
 だが別にどちらでも良かった。
 返事なんて、求めていなかったから。
 「…桜なんて、久しぶりに見ましたよ…」
 「…そうですか」
 少し肌寒い風が、ふわり、と吹いて、ゆっくりと花びらを散らす。
 二人は舞い散る花びらを、見るとも無しに眺めていた。
 「…自分は、本日の判断は、間違ってないと思います」
 不意に、若宮が呟いた。
 「…戦士?」
 「命を預けるに足る士官で無くては、死に甲斐がありません」
 「…」
 善行は笑った。
 「な…何を笑われるのです」
 照れ気味に抗議する若宮に、善行は片手を上げた。
 そのまま真顔になる。
 「いや…すみません。貴方に気を使わせてしまったようですね。有り難う、戦士。でも、私は大丈夫ですよ。貴方のおかげですっかり思考回路は軍人のものになっている」
 「…失礼しました」
 善行は再び桜を見上げた。
 「私には迷いはありません。今でもあれは最善の判断だと思っています。ですが、此処の彼等は、そうではない。それが、まだ軍人になりきれていない学兵故の甘さであり、弱さだと思っています」
 「…」
 「それは戦っていく内に、克服されていくもの。戦闘が続けば、嫌が応にも麻痺し、失われていくものです。ですが戦士。私は、彼等のそういう処を、愛おしいと思うのですよ」
 「司令…」
 善行の頬に微笑が浮かぶ。
 「出来れば失わずに居て欲しい、平和な者のバランス。人殺しをおかしいと思える、私達軍人が失って久しいもの。軍人としては間違っているかも知れませんが、こんな時代だからこそ、ね」
 「ですがそれは…兵士として戦場に居続けるには、とても苦しい事だと思います」
 憮然と、呟く。
 「そうですね…確かに」
 ちらちらと舞い散る花びら。
 「知っていますか…?桜がこんなに美しいのは、その根本に死体が埋まっているから、だそうですよ」
 「…でしたら、自分も、桜の養分になりたいものです」
 二人は飽く事無くその様を眺めていた。


 それは、その翌週の事だった。
 戦闘中、幻獣に援軍が来て、やや劣勢気味になった処で、こちらにも援軍がきて、辛くも凌ぐ事が出来た。
 戦闘後の現場確認で、善行は、援軍に来た友軍の司令官に会いに行った。
 友軍の司令の声に聞き覚えがあったからだ。
 果たして、もう一つの指揮車の側で、指示を出していたのは、先日の彼女だった。
 「…君は!」
 少女は善行に気が付くと、敬礼し、破顔した。
 「あれからラインに志願して、司令に昇進しました。今は百翼長です」
 「それは凄いですね。この短期間に」
 「はい。思う処があって」
 「そうですか」
 「とても、お逢いしたかったです」
 ふと、彼女の肩の花びらに、気付いて周囲を見渡した。
 「どうしました?」
 「いや。貴女の肩に桜の花びらが」
 摘んで、彼女の目の前に見せる。
 少女は微笑んだ。
 「ああ、この辺、遅咲きの桜が結構あるんです。きっと風に飛ばされて来たのでしょう」
 これが先週あれ程怯えていた少女なのか。善行は思わず彼女をまじまじと見つめた。
 「…随分と冷静になられた様だ。刮目して見よ、という感じですね」
 「色々勉強しましたから。貴方の事も」
 「私の?」
 「ええ。…あ」
 ひらり、と二人の間を、薄桃色の花びらが舞った。


 一瞬、善行の意識が花びらに動いた、その時だった。


 「え?」
 胸に鋭い痛みを感じて、ゆっくりと彼は自分の胸を見た。


 深々と突き刺さる、カトラス。
 それを握る手は、正面の、相手から。
 「…な…」
 理由を尋ねる言葉は、最早音にすらならなかった。
 代わりに口から出たのは、血の塊。
 正面の、少女が、凄惨な笑みを浮かべる。



 「さよなら、善行さん。地獄で、姉さんに謝ってね」



 ね、えさん…?
 ゆっくりと思考が言葉に紡がれる。
 身体の力が、急速に抜けていく。

 「あんな人でも、私にはたった一人の肉親だったの」

 どっと、風が吹き抜けて、大量の花びらが、舞い散った。
 誰かの声が聞こえた。
 桜の木の下には、死体が埋まっている。
 私の血も吸って、紅くなるが良い。


 そんな事を思った時、眼前が、ブラックアウト、した−


−GameOver? End−


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