その援軍要請が来たのは、自分達の戦いが終わった直後の事だった。
電話の向こうは女性の半泣き声だった。
「こちら5121」
「あ…っ…た、助けて…っ…助けて下さい!」
うわずった声に、善行は思わず顔をしかめる。
この電話を知っていると言う事は、兵士である事だけは間違いない。だが、この取り乱しぶりは兵士にあるまじき状態だ。普通援軍要請を行うのは司令、つまりある程度の戦闘経験者だから、此処迄酷い事は先ず有り得ない。
「それでは判りません。所属と名前、場所を言いなさい」
「あ…す、すみません」
女性はすぐ近くの場所を示し、自分達は戦地に取り残された整備兵である事を伝えてきた。
「貴女が連絡してきたという事は、貴女の隊のラインオフィサーは全滅という事ですか?」
「それは…その」
「はっきりしなさい!一刻一秒を争うのでしょう?」
「…し、司令が、逃げてしまったんです!」
「逃げた?」
声に思わず剣呑なものが混じる。
「は、はい。うちのエースが撃たれて、動揺したまま…ああっ!」
「わかりました。すぐ行きます。それまで何とか持ちこたえなさい!」
善行は受話器を置いて、瀬戸口を見た。
「発信源は掴んでいますね?全員に伝達。これから援軍に向かいます」
幻獣に取り囲まれた友軍を救うのは、若干骨だったが、熊本県下で一番の撃墜数を誇る速水・芝村コンビを抱える5121小隊である。幻獣を即座に撤退に追い込み、彼女達を救出した。全員が女子校出身の整備の初年兵で、彼女等の上司である整備班長は、電話の直前迄奮戦し、命がけで彼女達を守ったらしい。
「ありがとう、ございます」
礼を言った少女の声に、聞き覚えがあって、善行は顔を見た。
「貴女が、電話してきたのですね」
涙と鼻水に濡れてはいたが、気丈そうな顔だった。
「…はい」
「本来誉めるべき状況ではありませんが、初年兵にしてはよくやったと言っておきます。」
言葉を継ごうとした、その時だった。
「!」
物陰から一人の少女が飛び出すのが見えた。
纏っているのは久遠。
善行は遠目に百翼長の階級と赤いスカーフを視認した。
声を掛けていた少女が叫ぶ。
「…司令!」
パン。
「!」
軽い音が響いて、駆け出した少女が横倒しになった。
そのまま、頭から血を出して、ビク、ビク、と痙攣する。
「あ…あ…!」
声を掛けられていた少女が、悲鳴を上げる。
善行の銃口から、薄い紫煙が立ち上っていた。
倒れた少女の虚ろな眼差しには、何故自分がといった疑問の色が残ったまま、次第にその動きを止めていった。
「司令!」
善行は、周囲から上がる非難のどよめきを解さぬように、ホルスターに銃を収めた。
そのまま蒼白になって死体を見る少女に向き直る。
「敵前逃亡は、重罪です。まして小隊責任者である以上、遅かれ早かれ彼女には銃殺刑が待っている。軍隊で人の上に立つという事は、それだけ部下の命に責任を持つという事です。彼女はそれをないがしろにした」
「!」
無表情に語りながら善行は、倒れてる少女が少し、話してた少女に似ている、と思った。
「この赤いスカーフにはそれだけの意味と重みがある。ああなりたくなかったら、強くなりなさい。−ああ、遺体回収をお願いします」
最後に多目的リングに連絡を入れると、善行は踵を返して、指揮車に向かった。
「…殺す事は、なかったんじゃないのか?」
気まずい雰囲気の漂う、帰りの指揮車内で、瀬戸口が口を開いた。
連戦で疲労したのか、ののみは寝息を立てている。
「…なるほど。道理で此処の空気が重い訳ですね」
「勿論視線だって痛い筈さ。みんなそう思ってる。正常な精神の持ち主なら、誰もが思うことだからな」
「シヴィリアンならそれで良いかも知れませんが、私達は軍人ですからね。頭の無能は即座に命に影響する。正義も人道も、生き延びてこそのもの」
「同族を、それも友軍を殺して平然としている様な人種には、反吐が出るね。あんたはうちの芝村より、余程芝村っぽいな」
瀬戸口は低く、吐き捨てた。
「俺はあんたみたいな奴が大っ嫌いだよ」
善行は悪びれない。むしろ薄く笑った。
「結構。好かれようとは思ってませんよ」
その夜。善行は戦闘報告書を書く為、一人、指揮車のデータを吸い上げていた。
瀬戸口のいう通り、出撃組は、非難の視線こそ投げるものの、誰一人として声を掛ける者はいなかった。
原に至っては、
「堕ちたものね」
と、たっぷり嫌味を込めた言葉を言い捨ててくれた。
ただ、舞が仕方ない事だと言ってくれ、スカウトの二人が気の毒そうな視線を向けてくれたのみである。
「やれやれ…」
「司令殿」
善行は顔を上げた。
指揮車のハッチから、若宮が顔を覗かせていた。
「何でしょう?」
「…いえ。一寸良い夜なもので…」
いつも明快な若宮にしては、珍しく歯切れが悪い。
善行はそれとなく察して口を開いた。
「ああ、すぐ終わります。待ってて下さい」
善行はデータを吸い上げ終わると、指揮車の外に出た。
外では若宮が、立ったまま待っている。
「お待たせしました。行きますか?」
「いえ、し…委員長。上を御覧下さい」
言われて善行は頭上を見上げた。
青い月の光に淡く浮かび上がる、ぼんやりと、柔らかい薄桃色の光。
夜目に優しい、乳白色の、影。
「…桜、ですか…」
思わず二三歩、近付く様に前に出て、感嘆混じりに、呟く。
若宮が、静かに笑みを浮かべて、頷いた。
「はい」
「ああ…こちらでは、こんなに早く、咲くのですね…」
「御存知、ないのですか?」
「熊本では戦争しかしてませんから。こういったものを愛でるゆとりは、やっと最近出来たようなものです」
善行は寂しそうに笑った。
「…」
徐に、口を開く。
「…昔はよく、授業を抜け出して、公園に昼寝をしに行ったものです。公園には、四季に合わせて咲く様に、調整されて植えられた花があって…それで季節の移り変わりに気付いたりしてました」
若宮は黙って桜を眺めている。
聞いているのか、聞かないふりをしているのか、見た目には判らない。
だが別にどちらでも良かった。
返事なんて、求めていなかったから。
「…桜なんて、久しぶりに見ましたよ…」
「…そうですか」
少し肌寒い風が、ふわり、と吹いて、ゆっくりと花びらを散らす。
二人は舞い散る花びらを、見るとも無しに眺めていた。
「…自分は、本日の判断は、間違ってないと思います」
不意に、若宮が呟いた。
「…戦士?」
「命を預けるに足る士官で無くては、死に甲斐がありません」
「…」
善行は笑った。
「な…何を笑われるのです」
照れ気味に抗議する若宮に、善行は片手を上げた。
そのまま真顔になる。
「いや…すみません。貴方に気を使わせてしまったようですね。有り難う、戦士。でも、私は大丈夫ですよ。貴方のおかげですっかり思考回路は軍人のものになっている」
「…失礼しました」
善行は再び桜を見上げた。
「私には迷いはありません。今でもあれは最善の判断だと思っています。ですが、此処の彼等は、そうではない。それが、まだ軍人になりきれていない学兵故の甘さであり、弱さだと思っています」
「…」
「それは戦っていく内に、克服されていくもの。戦闘が続けば、嫌が応にも麻痺し、失われていくものです。ですが戦士。私は、彼等のそういう処を、愛おしいと思うのですよ」
「司令…」
善行の頬に微笑が浮かぶ。
「出来れば失わずに居て欲しい、平和な者のバランス。人殺しをおかしいと思える、私達軍人が失って久しいもの。軍人としては間違っているかも知れませんが、こんな時代だからこそ、ね」
「ですがそれは…兵士として戦場に居続けるには、とても苦しい事だと思います」
憮然と、呟く。
「そうですね…確かに」
ちらちらと舞い散る花びら。
「知っていますか…?桜がこんなに美しいのは、その根本に死体が埋まっているから、だそうですよ」
「…でしたら、自分も、桜の養分になりたいものです」
二人は飽く事無くその様を眺めていた。
それは、その翌週の事だった。
戦闘中、幻獣に援軍が来て、やや劣勢気味になった処で、こちらにも援軍がきて、辛くも凌ぐ事が出来た。
戦闘後の現場確認で、善行は、援軍に来た友軍の司令官に会いに行った。
友軍の司令の声に聞き覚えがあったからだ。
果たして、もう一つの指揮車の側で、指示を出していたのは、先日の彼女だった。
「…君は!」
少女は善行に気が付くと、敬礼し、破顔した。
「あれからラインに志願して、司令に昇進しました。今は百翼長です」
「それは凄いですね。この短期間に」
「はい。思う処があって」
「そうですか」
「とても、お逢いしたかったです」
ふと、彼女の肩の花びらに、気付いて周囲を見渡した。
「どうしました?」
「いや。貴女の肩に桜の花びらが」
摘んで、彼女の目の前に見せる。
少女は微笑んだ。
「ああ、この辺、遅咲きの桜が結構あるんです。きっと風に飛ばされて来たのでしょう」
これが先週あれ程怯えていた少女なのか。善行は思わず彼女をまじまじと見つめた。
「…随分と冷静になられた様だ。刮目して見よ、という感じですね」
「色々勉強しましたから。貴方の事も」
「私の?」
「ええ。…あ」
ひらり、と二人の間を、薄桃色の花びらが舞った。
一瞬、善行の意識が花びらに動いた、その時だった。
「え?」
胸に鋭い痛みを感じて、ゆっくりと彼は自分の胸を見た。
深々と突き刺さる、カトラス。
それを握る手は、正面の、相手から。
「…な…」
理由を尋ねる言葉は、最早音にすらならなかった。
代わりに口から出たのは、血の塊。
正面の、少女が、凄惨な笑みを浮かべる。
「さよなら、善行さん。地獄で、姉さんに謝ってね」
ね、えさん…?
ゆっくりと思考が言葉に紡がれる。
身体の力が、急速に抜けていく。
「あんな人でも、私にはたった一人の肉親だったの」
どっと、風が吹き抜けて、大量の花びらが、舞い散った。
誰かの声が聞こえた。
桜の木の下には、死体が埋まっている。
私の血も吸って、紅くなるが良い。
そんな事を思った時、眼前が、ブラックアウト、した−
−GameOver? End−