「なあなあ、ウチらのエンブレム、誰作ったんか、知らん?」
それは、昼食中の他愛ない会話からだった。
問いは祭のものである。
「へえ、意外だね。加藤さんでも知らない事があるんだ」
「速水君、それは買いかぶり過ぎや。ウチかて知らん事は仰山あるねんで。話の中身によっては、聞きにくい相手とかもおるし」
「そうだな。思いこみは良くないぞ、坊や?」
最後の一口を飲み込むようにして、瀬戸口が受ける。
「だから坊やは止めて下さいって言ってるでしょう」
「そうか?」
漫才を後目にののみが言う。
「えっとね。ねこさんのこれ、いいんちょが作ったって、ののみきいたよ」
言葉尻を受け取るように、速水が言葉を継いだ。
「僕も本田先生からそう聞いてるな。猫の居る小隊は珍しいからって、こうなったらしいよ。あのヒトも忙しいから、大まかなアウトラインを書いて業者にでも頼んだんじゃない?」
「えッ?!」
素っ頓狂な声を上げた祭に、みんなの目が集まる。
「ウチの予算にそないな余分、ないで」
「確かに。弾薬や食料の調達にはいつも四苦八苦してるみたいだしな。台所を預かる事務官サマとしては頭の痛い処じゃないか?」
瀬戸口が相槌を打つ。
「よぉわかっとるやん。そおいう事や。そやから」
「それより事情を飲み込んでる筈の委員長が、確かにそんな無駄遣いをする訳はないね。じゃあこれは、やっぱり自分で描いて申請したのかな」
「それしか考えられへんのやけど、どーもあの朴念仁みたいなおっさんが、こんな小器用な真似出来るんかいな思てな」
「…加藤さん、君、言うね」
苦笑する速水。
瀬戸口が肩をすくめた。
「ヒトには結構隠れた才能があるもんだ。笑ってる奴ほど食えないもんさ」
「…それ、経験?」
「そんなもんだ。年長者の言う事は聞くもんだぞ?」
「君とは大して差がない筈なんだけどね」
一見にこやかな、何かを含んだ漫才の側で、眉間にしわを寄せて祭が唸る。
「うーん…やっぱ何か、似合わへんわ…」
尚絅高校の予鈴が、遠くから聞こえて来た。
食堂の外を走る生徒達が見える。
「ねえねえ、たかちゃん、あっちゃん、まつりちゃん、チャイムなったよ」
「そうだな。ようし、教室戻るか」
この話はそこで沙汰止みになった。
その日の放課後の事。地道な倹約が功を奏して、やっと少し小隊財政に余力が出てきたので、祭は隊内備品や事務器周りを陳情して、多少労働環境に彩りを添える事に決めた。戦勝が続いた所為で酒保が少し潤ったらしく、今頼むと6割引という破格値も狙い目だ。
「よっしゃ。石津さんにも頼まれた事やし、欠けた食器類を新しものにしよ。お名入れサービスタダやて書いたあるし、折角やから小隊エンブレム付きでいこか…っと」
カタログメールを見ながらそこまで考えて、昼の話が頭を過ぎる。
「…」
隊長席を盗み見た。
黙々と仕事を続ける善行が眼に入る。先程まであった膨大な書類決裁の第一陣を終了し、今は昨夜の戦闘報告書を作成している様だ。戦闘記録を見る事無く、地図の上に淀みなく動線を書き込んでいる。確かに多少の絵心的センスはある様で、マウスを取り回して動線を配する様は、非常に手際が良く地図の見場も悪くない。
エンブレムを入れるには見本が必要だから、昼の話を確認する良い機会であった。
祭は意を決した。
「あのー…委員長?」
自分らしくないとは思ったが、おそるおそる問いかけてみた。
「今は一応『司令』の時間ですが、構いませんよ。なんでしょう?」
原か若宮に聞いた方が早かったかなと若干後悔しつつ、祭は言葉を継いだ。
「えっと、新しい食器を入れよと思うんですけど」
「それは良い事です。この前も衛生官が食器が足りないと嘆いていた事ですし、隊内の気分転換にも良さそうですね。そうですか、そんな処に回すゆとりが出てきましたか…ご苦労様です、事務官」
最後の言葉で善行は顔を上げて、祭に笑顔を向けた。
「ええ、その、それでですね。サービスキャンペーン中ゆう事なんで、エンブレムが揃いで付けられるんですわ。で、」
何て言おうか一瞬迷った。
逡巡の結果が出るより早く、善行が応えた。
「ああ、エンブレムの下絵が見本として必要なんですね?」
「あ、はい」
「元絵だったらその事務用PCに入ってますから、それをコピーして使って下さい。製図用のCADデータだから、少し加工が必要かもしれませんけど、寸法比は本部にもそのまま登録してある正確なモノです」
耳慣れない単語に、思わず祭は大声をあげてしまった。
「せ、製図ぅ?!」
「おや、言ってませんでしたか?」
善行はイタズラっぽい表情で片目を閉じた。
「私はこれでも、元・設計志望だったんですよ。船の設計をしたくて大学に通ってたんですが、学徒徴兵で、今では御覧の有様です」
「はぁ…」
「エンブレムですか…」
善行は思い出すように、喉を鳴らして小さく笑った。
「…あれは、思ったより巧く行きましたね。みんなには内緒ですけど、あれは上が登録を急かしたんで、一晩で仕上げたんですよ。描きながら、CADを入れっぱなしにしたままで助かったと思ったものです」
妙に楽しげな司令殿に、胸の中で溜息を付いて、祭は湧いてきた別種の疑問を口にした。
「…そんな楽しんなら、士官学校、技術科に行かはったら良かったのと違います?技術将校いう道もあったでしょう」
善行の表情に少し翳りが入る。
「それはまあ、色々とありましてね。志願でもままならない事はあるのですよ」
何となく、ピンと来た。
「ははー…ん…」
思わず無遠慮な視線を投げかけてしまった。
「どうか、しましたか?」
善行が怪訝そうにこちらを見返す。
祭は慌てて取り繕った。
「いえ、な、何でもありません」
「…そうですか。今話してる間に変換ファイルを、そちらに転送しておきました。規格にあった画像を使って下さい」
翌日の昼、祭は二組にお弁当を食べに言ったついでに、エンブレムの曰くを披露してみた。
「へーえ。設計屋さんねぇ。言われてみればあの細かくてうるさい処はそうかもしんないや」
新井木が独り合点に頷いた。
「なるほど、整備にも目がよく行き届く訳ですね。勘処自体は判っている訳ですから。ただ、現場とはぶつかるかも知れませんけど」
「相変わらずレーセーだね、モリリンは」
「へえ、ホントに司令が作ったんだ…意外と達者なヒトだったんだね」
祭と一緒に弁当を食べに来ていた速水が、まじまじとエンブレムを眺める。
「ボクの来須先輩と比べてファッションセンスはサイテーだけど、これはまあまあじゃん?」
「…」
コメントに困る一同に構わず、新井木は率直な感想を述べた。
と。
「何言ってるの。CAD使ってわざわざこんなモノを作ってるなんて、間抜けのする事だわ」
冷たい笑顔の素子が、彼女たちの後ろに立っていた。
「…整備班長」
素子は大げさに溜息をついてみせる。
「今時そんな大仰なソフト使わなくたって、デザイン出来る御時世じゃない。下らない。相変わらず大馬鹿よね」
返事に困って視線を漂わす一同の中、祭はこっそり思っていた。
(…やっぱしこのヒトが居たから、なんやろな…)