9.Liars
「…明日の日曜は、暇か?」
不意に舞が呟いた。
何の誘いかはピンときた。おそらく最大限の努力を以て、言葉にしているに違いない。微笑ましく思ったが、その誘いには自分は絶対に乗る事が出来ない。
たった今、関東帰還を決意したから。
おそらく、今、教官に一声掛けるだけで、明日にも叶うだろう。詰まる処、自分の立場とは、そういうものなのだ。
だが、表面はさあらぬ体で返事を返す。これは、彼女の努力に対する、ささやかな礼のつもりだった。
「デートですか。良いですよ。チケットの申請はしてますか?」
殊更に雄弁に語りかけてみる。気持ちよい声をもっと聞いていたかった。
別れるまでに。
「…」
答えが、ない。
「どうしました?」
「−用を思い出した。行って来る。邪魔をした」
舞は、突然無造作に離れると、くるり、と背を向けて駆け出した。
「ええ、また明日」
その背に呟くように声を掛ける。
明日はない、と判っていながら、嘘を付く。
(貴方は、いつもそう)
素子の声が残響する。
「…だから、責めは甘んじて受けますよ」
自分はこういう人間なのだ。だから、一人の女にも応えてやれない。応えてやれない代わりに、その責めは全て負う。
勿論、嫌われることも詰られる事もその範疇。
それが、自分の「答え」。
素子は決して判ってはくれなかった。それが、余りに住む世界が違う、と言う事なのだろう。だが、判って貰おうとは露程も思わなかった。素子は、いや、世の人はそれでいい。それは、こちらのわがままだ。
だが、舞は?
そう思った時、少しだけ、期待している自分に驚いた。そんな自分が可笑しくて、うそぶいてみる。
「…ふ…確かに、かなり、毒されているな…」
デートに誘ってしまった。
この私が。
舞は目一杯、動揺していた。動揺しながら、善行が受けてくれた事が嬉しかった。でも、何となく素直に喜べなくて、またぶっきらぼうに別れてしまった。それがまた、何とも口惜しい。
用なんてなかったのに。
でも、言ってしまったからには仕方がない。舞は無理矢理用事を作った。
士魂号の装備チェックである。
今ハンガーにある予備機は単座型なので、複座型である3号機パイロットの彼女のモノにはならない。自動的に1号機である壬生屋か2号機の岩田のモノになる。こういう事は壬生屋の手が早いと相場が決まっているので、多分1号機になっている事だろう。だが、壬生屋は自分の戦法に固執する余りの突撃型軽装にしている事が多く、どうみても自分の命を粗末にしているとしか思えない。命を粗末にするのは個人の勝手だが、小隊の「貴重資源」としての兵士が減るのは効率的でないと考える舞は、時折こうやって他人の装備を
こっそり弄る事にしているのだ。
案の定、1号機になっている予備機は、両手に大太刀を装備しただけの簡易装甲状態だ。
「…やはりな…これは、展開装甲が要るか」
裏マーケットあたりから、ギって来なければなるまい。
そんな事を考えながら、電子妖精を走らせた。この処のドタバタで、余分に持っていたのを忘れていたのだ。展開装甲を2個入手するには手元が一杯で、捨てられるものや使い切れるものは減らさないとまずい。
(…るのか?)
(上は上らしく、指揮を執って戦いますよ)
何処かで話しているのだろう。多目的結晶を通じて、本田と善行のイメージが流れ込んでくる。
(1万人の指揮を執るよりも22人の指揮を取った方が気が楽だと思ってましたが、それは嘘でした。人が死ぬことに変わりない)
(どうする気だ)
(この戦争に、勝ちます。中央に戻って、人事を刷新して、新型を作らせて…そして、正面をきって指揮します)
「!」
舞は、目を見開いた。
(私が、私の戦友のためにしてやれることは、これが、最善です。この国は駄目だと言って、義務から逃げて、やるべきことをやらないことは、卑怯だと知りました)
決意の程が伝わってくる。
聞きたくない、と思いながら、流れ込んでくる情報を、止められない。
(どれだけでも、責められますよ。それが責任を負うと言う事です。だからといって、今からやる事を変えはしません。遅いからといって諦めては、物言わぬ国民達に死んでもわびできない。…かくて善行 忠孝は、25人の仲間を思って戦いますよ。陰謀と政治抗争の、その城に戻って)
その一言一言が、身体を、打つ。
(…上級万翼長。熊本は、どうだった)
(…単なる、回り道でしたよ)
耐えきれなくなって、ネットワーク接続を断ち切った。
脂汗が額を流れる。
「…か、帰る?…帰る、だと…?」
肩で息をしながら、膝をつく。両手を床についた。そうでもしないと、衝撃で倒れそうだった。手の甲に、額の汗が、滴る。胸の中を、次第に、灼熱の炎が渦巻く。
それでいて、頭の芯だけが奇妙に冷える感覚。
それほどまでに、心を許していた。
先程の約束は、何だったのだ?
「…っ!」
最愛の男に嘘をつかれた。
「ゆ…許さぬ…っ…わ、私を愚弄しおって…っ!」
身体が、怒りの余り、震える。
(…単なる、回り道でしたよ)
では、私は、何だというのだ。熊本遊山の土産だとでも言う気か。
「ふざけるな!」
頭を上げる。
是非とも、面と向かって問いつめねば気が済まない。
テレパスを発動する。全員の居場所が多目的結晶を通じて速やかに感知される。
善行の居場所は、職員室。
このまま、尚絅高校廊下に飛べば、すぐにもあの男を捕まえられるだろう。
その時だった。
(義務から逃げて、やるべきことをやらないことは、卑怯だと知りました)
「…!」
飛ぼうとして、舞は動きを止めた。
静かに蘇る、言葉。
確かに、彼は、そう言ってなかったか。
(それに、今出来る事を放棄するのは、卑怯者のする事だ)
そう言ったのは、自分だ。
それを受けて、あの男は何と応えた?
有り難う、と。大事な事を思い出させてくれた、と言ってなかったか?
舞は再び目を見開いた。
「それが…これか…」
そう、あれも、芝村の名に、連なる者。
死者に笑い、生者に悲しむ一族に繋がる者。
そんな男が、嘘をつくのに躊躇する筈がない。まして、それが、彼の中の何か大事な決意の為なら。
ひとつ、らしくないとすれば、それは、舞の為だけに、ついた嘘だという事。
舞は、軽く、笑みを浮かべた。
「…たわけが。そんな気を使わず共、私は大丈夫だと言ったろう…?」
ここに至って舞は、ある、決意を固めた。
迷い無く、旅立って貰う。その為に。
改めて、テレパスを発動して、善行の居場所を確認する。
勿論、今度は責めるためでない。
宿舎のあるどぶ川べり近くに居る事が判明した。周囲に2〜3人、部隊の人間が居るが、かまってはいられない。
「よし、飛ぶぞ」
目的を、完遂する為に。