「…悪い事は、言わん。あれを狩るのだけは、やめた方が、良い」
裏マーケットの主は、眉間に皺を寄せたまま、低い声で答えた。
薄暗い、じめついた、地下の一室。
「バズーカに撃たれ、ビルから落ちても平気なソックスハンター達が何人も、その呪いに還らぬ者となっている。これ以上、あたら有能なハンターを失うのは、惜しい」
男は笑った。
「そこに靴下があるのなら、万難を排してでも不可能を可能にするのが我らの定めよ。魅入られし者に逃げ道などない」
おやじは大きく溜息をついた。
「…残念だ。業よな」
資料館の一室に無造作に展示されているその靴下は、伝説の赤き靴下、と呼ばれていた。
沢山の兵士の血を吸ったが為に赤く染まったとも、それを付けていた誰かが思う処あって赤く染めたとも、言われているが、そのいわれは定かでは、無い。ただ、もう何年も、その資料館に展示されていた。
そしてそれこそが、ハンター協会が、何十年も前から狙い続けてきた、幻の逸品の、ひとつ。
履いている−使われているものを狩るのが本来の仕儀であるソックスハンターが、何故これを執拗に狙い、更に手に入れられずにいるのかは、今以って定かならずなのだが、一つだけ伝わっている事がある。
かつてこの靴下を狩ろうとした者達が、こぞって返り討ちにあっている−と。
勇名を轟かせた凄腕の歴代ハンター達が、この何て事のない資料館に忍び込んでは、二度と戻って来ない。辛うじて戻ってきたハンターも、そこで何が起きたのかすら話せない有様だという。
故に又の名を、呪いのレッド・ソックス。
「フフフ…だからこそ、魂が燃えるといいますか」
ひらり、と体重を感じさせない軽やかさで、岩田が敷地に舞い降りる。
「そそられますよねえ…どうです?タイガァ」
「…呆れた無防備ですね、これは」
岩田の言葉を丁重に無視して遠坂は呟いた。
「これではハンター以前にセキュリティチェックに問題があるのでは…」
「盗まれる様なもののある場所では、ないって事だろうよ」
「バトラー…」
ソックス・バトラー−中村光弘は、暗闇に目を凝らす。
「戦時中の戦争資料館なんて、高揚以外の目的には用無しって事ですねぃ」
「大したもののある建物でもないしな」
「何か…慣れませんね」
「何がです、タイガァ?フフフ、これは泥棒ではないのです!高貴で、崇高な、戦いなのですよ?」
「…いえ…その、中村君の言葉が」
中村は不敵に笑ったが、何も言わない。
「ノォォォ!いけませんねタイガァ!コードネームで呼び合ってる私達に、それは御法度です!」
「バット。声を絞れ」
ふふん、と笑って身体をくねり、と不自然に動かす岩田。
「…フロアは一階でしたっけ」
間を取り持つ様に、遠坂が呟いた。
「ああ」
すんなりと侵入出来た資料館の、一階の奥のフロアにそれは、鎮座していた。
簡単にプラ板で囲われた台の上に置かれた、夜目にも赤い、くたびれたスカーレット・レッドのハイソックス。
「おお…」
感嘆にも似た賞賛の溜息が、それぞれ三様に、漏れた。
「戦場で血を吸ったか、何かの誓いか。その曰くいわれは既に失われて久しいが、ただ協会にのみ、その存在を神々しく残す、赤き靴下よ」
「…詩人だな、バット」
「時に物は何よりも雄弁に語るものですよ、バトラー」
にやり、と笑って。
「これは、私が頂きます」
「何!」
言うなりトン、とステップを踏んで、展示囲いの中に岩田が飛びあがった。
「何時だってハンターは孤高なものです。その崇高なるが趣味の故に」
「待て!」
手を伸ばした刹那−
ずしん、と低い音がして、
岩田の身体が、
動きを止めた。
「?!」
「バット?!」
「…フフフ」
「?!」
「成程…レッド・ソックスの名は伊達じゃない」
その白い上着を急激に染める、赤い、染み。
「一体何人の…ハンターの、血を吸って、そんなに…赤いんですか?」
身体がぐらり、と揺れて。
「…しくじりましたよ」
言うなり岩田の伸ばした腕が姿を消して、赤黒い半身のままの身体は倒れ込む。
「バ…バッ−うわ!」
岩田に駆け寄った遠坂が顔を押さえてしゃがみこむ。
その手が更に朱に染まっていく。
「な…!」
言葉同様ハンターモードの時は流血恐怖が発症しない事を安堵しつつ、中村は頭を巡らせた。どういう類の物かは判らないが、その『呪い』こそが、最大のセキュリティとなっている。なるほど、防御が薄い訳だ。
ならば、『呪い』に掛からぬこの距離からの捕獲を考えなければならない。
「呪い、か…」
『呪い』を発動させず、触れず近付かずに狩るには−
その時脳裏に閃くものがあって、中村は制服のポケットを探った。
「…よし」
先日、クッキーのお礼に貰った、東原のリボンと壬生屋の札。
これならば、役に立ちそうだ。
ひとまずリボンを半分に裂いて長さを伸ばす。
更に足りなそうなので、武器に使ってる邪道ストッキングを結び付けて。
そしてリボンの末端に札を括り付けて、完了。
「バトラー…」
呻く岩田を一瞥して。
「待ってろ。これを片付けたら、手当ても病院も何とかしてやる」
ストッキングの末端を握りしめ、気付けに秘蔵のコレクションの匂いを嗅ぐ。
がくがく来る様な刺激に俺はまだ大丈夫だと、笑って。
「行くぞ、レッド・ソックス!」
ひゅん!
札の付いたリボンが、くるり、と綺麗に巻き付いて、一足の靴下を抑え込んだ。
「よし」
先ずは、掴めた。
後は、距離を保つ位置で−
そう、思った刹那。
火の様な痛みが、腹を、襲った。
「!」
一拍置いて、ばちん、と変な音が、下腹から、聞こえた。
同時にがくん、と視界が下がって地面が急接近してくる。
「な!」
膝は付けた筈、だったのに、そんなクッションも無く頭は地べたに激突していた。
その視界の先に、赤とピンク色の塊が、ぼんやりと、見える。
広がる塊が、己の腹からだ、と気付いた瞬間に、でんぐりがえるような痛みが脳髄を打った。
「が、はああ…っ!」
気が遠くなって、眼前が暗くなった、一瞬。
「…やれやれ…ソックス・ハンターという人種は、どうしてこう、度し難いんでしょうかねえ…」
遠く潮騒の様に、ぼんやりと、聞こえた声。
(誰だ…?)
「こんなものが良いと言うのだから…」
続く言葉の方向に、顔を向ける。
暗がりで−或いは、朦朧とした意識の所為で顔は、見えない。
ただ、その手に、
(あれを、持っている−?!)
呪いと言われたあの、レッド・ソックスを無造作に摘まんでいる。
「…こんなものに、命掛けられても、困るんですけどね…」
ぴら、と振ったりして。
でも、何も、起きない。
「このまま放っておきたい気もするんですが、そうなると色々と不都合ですから」
こいつは何者なんだ。
随分と短い上衣から、不似合いな程ごつい足が見えている−男。
そして自分はこの男を知っている−と中村は思った。
「ののみさんのリボンを使う処迄は合っています」
また、ぴら、と振った。
「ですが、これを手に入れるには、貴方方が多分一生言えないであろう呪文が必要なんですよ」
す、と持ち上げて、反対の手に、何かを取り出す。
「骨の髄迄これに冒されてる貴方方が、これ一足の為にそれを言えるかどうか、ですがね」
鈍く光るそれがライターだと気が付いたのは、
「そんな面倒な代物は、消すに限る」
その男が、靴下に火を、付けた瞬間だった。
「な…何を…っ!」
「靴、下が、も…燃え、燃えももも」
「うわああ」
一気に正気に返るハンター達を後目に男は、溜息をついたままその手の中で完全に火を回らせた。
物は人工繊維なのか、小さく黒く縮んでいく。
「やれやれ…こんなものひとつで、此処らへんを不安定にしないで欲しいですよ。こんな傍迷惑な物を作って…何が『呪い』なんだか」
這いずる三人をよそに靴下は、簡単に消えた。
「ノッノォォォォ!」
「あああああ」
「自分の身体より大事ですか…やはり、度し難い」
完全にレッド・ソックスが手元から失われたのを確認してから、男はくるり、と踵を返した。
「これでこの辺りはソックスハンター時空に戻ります。そうなれば、傷もすぐ癒えて、元通りバズーカでも死なない貴方方に復活ですよ。半端にゲートを開くなんていう、『呪い』は解けてますから」
何の事を言ってるのか判らずに居ると、岩田の声が聞こえた。
「な…んですと…?!」
それに、驚愕があった。
「ハンターで渡った馬鹿がいたんでしょうね。もしくは研究者が居たか。何れにしても、邪魔な代物ですよ。さて、もうすぐ貴方達も傷が癒える。その前に、退散しますかね」
ひらり。
中村の、最後の目の端に残ったのは、ピンク色のスカートと、灰色の靴下、そして闇に沈む色眼鏡−だった。
聴き覚えのある声以上に、印象的な、行動。
「まさか…な」
−「コードネームはソックス・ハーレム」外伝より