「今日付けで小隊を異動ー?」
勇美は素っ頓狂な声を上げた。
「聞いてないよそんなのー!」
困ったな、という顔で、若宮。
「仕方ないだろ。急だったんだ。お前は士官で俺は兵だしな」
「何その理屈。全然わかんない。命令は上下の区別無く紙一枚、メール一通じゃん。君とボクの何処に違いがあるっての?」
「…相変わらず口ばかり達者だなお前は」
苦笑気味の若宮に、勇美は口をへの字に曲げる。
「言い返せないからって負け惜しみ?それとも子供には勝てないって事?馬鹿にしないでよ。これでも立派に千翼長様なんだからね?」
自信たっぷりにその薄い胸を反らす様はどうみても子供のそれだった。
が、若宮はしかめつらしく敬礼する。
「わかりました、上官殿。自分の負けであります」
勇美は虚を付かれた顔をした。
が、男の口元に浮かぶ笑みに、全てを悟る。
「んもー!それが恋人に対する仕打ちー?!」
「あははははは、すまんすまん!」
来なくていいと言うのを無理矢理押し切って、勇美は若宮の家へ引越しの手伝いに押しかけた。
家と言っても軍の宿舎だし、呼ばれた事は一度も無いから、これが初めての訪問になる。
だが。
「な?だから来なくて良いって言ったろ?」
本人の言う通り、ほぼ、何も無い部屋に、鞄と段ボール箱が申し訳程度に一つだけ。
勇美は目を丸くした。幾ら内示があるとは言え、こんなに短期間で片付くものではない。
「何これ信じらんなーい!!」
思わず上げた大声に、若宮はきょとんとする。
「不要な物は何一つ持たない事にしている。あれも、箱の方はゴミだしな」
「それにしたって変。ぜーったい変!おっかしいよー!こんなんで一体どうやって生活してたのー?」
「此処に居たってどうせする事もないしな。だから小隊に行く。小隊に居れば飯は賄える。小杉や石津に頼めば洗濯してくれるし、身体だって存分に鍛える事が出来る。シャワー室もあるし、詰め所で仮寝も出来る−何か、不都合があるか?」
大真面目な顔。
「問題無いだろ?」
「うーん…」
勇美としては、大ありだ、と言いたい処だが、ヨーコや萌の様に洗濯する気はないし、食事も弁当を作るので精一杯の身としては、肯定せざるを得ない。
それでも何か、引っかかる。
勇美は勝手に上がると段ボールの蓋を開けた。
「おい」
咎める様な若宮の声を無視して、中身を確認する。
確かにガラクタばかりと言えなくも無かった。
「…ホントに異動先に何も持っていかないの?」
「ああ」
「ひどーい!ボクが誕生日にあげたダンベルも?」
「ああ。もう、必要無いからな」
「え?」
勇美は手を止めて顔をあげた。
「何?それ、どういう事?」
あからさまにうろたえる若宮が目に入る。
「あ、いや、その、何だ、…え、えーと、その、あれだ」
「あれって何」
「ほら、その、あー…っとそうそう。今度の部署は、デスクワーク、なんだ」
「デスク、ワーク?」
「ああ。だから、お前には悪いけど、そいつは置いて行く」
嘘だ。
判ってしまった。
そして、咄嗟に『備品』の耐用年数が頭に浮かんでしまった自分が、
もっと馬鹿だったらよかったのに、
と勇美は思った。
そして、そういう気分が顔に出てしまう自分が、なおさら嫌だった。
やばい。泣きそうだ。
そんな彼女の気分を知ってか知らずか。
「そういえば」
若宮は何かを思いついた様に、自分も上がると、鞄を開けた。
「これを、お前にやろうと思ってたんだ」
鞄から出て来たのは、丸くて白い帽子、だった。
勇美は訳も無く、どきり、とした。
『誰のものかも判らない』のに、とてもよく見覚えていて、凄く懐かしい、もの。
「…何これ」
「何って、見ての通り、帽子だ」
「それは見れば判るよ!ボクが聞きたいのは何でこんなもの持ってるのかって事!」
若宮は思案顔になった。
「いや、それがな。俺にもよく、わからんのだ」
「何それ」
「何時から俺の手元に在るのかも、誰に貰ったものかもわからん。わからんのだが、な。これだけは持ってなくちゃならん、と思って大事に持ち続けていたんだ」
「…」
「記憶が怪しいなんて、兵失格なんだがな」
そう言って、若宮は軽く笑うと、その帽子をぽん、と勇美の頭に乗せた。
「!」
帽子は少し大きめで、目の高さに迄ずり落ちる。
何処か、懐かしい匂いがした。
「俺には不要だし、かぶった処で似合わんが、お前なら似合うんじゃないかと思ってな」
ぽんぽん、とその大きな手で帽子ごと、勇美の頭を軽く叩く。
「予想通り、お前の方に合うな。…でも一寸、大きいか?」
胸が詰まって、言葉が出なくなった。
そのまま首を振る。
「…そうか。良かった」
若宮が、破顔する。
「…何がよかった、よ」
「?」
「このまま廃棄回収されるってのに、何が良いの?ちっとも良くなんか無い!」
「新井木」
「だって、死んじゃうんだよ?それなのに、そんなに笑って何考えてんの!」
頬を何かが伝う。
「少なくともボクにはこれっぽっちも良いことなんてない!」
若宮は、染み入るような笑顔を向けた。
「すまん」
「…勝手な事ばかり言ってさ。少しは、脱走してやろうとか、戦ってやろうとか思わないの?ボクの為にその位してくれたっていいじゃない。いっそ絢爛舞踏にでもなっちゃえば良いんだよ。そうすればきっと誰も」
「もう、そんなに保たないんだ」
「!」
勇美の頭に置かれた手が、また、ぽんぽん、と優しく叩く。
「だから、お前には、俺の代わりに、俺の見られなかったものを、見て欲しい。例えば、戦後とか、新しい『世界』とか。そうだな。いっそ絢爛舞踏になって、ひとの知らない世界を覗くってのも、どうだ?」
「何、言ってん、の?そんな…物騒なもの、なる訳、無いじゃん…ボクはか弱い女の子なんだからね?」
手が、帽子ごと、頭を撫でる。
「冗談だ。お前にそんな危険な事をして貰いたいとは思わない。ただ…そうだな」
「…何?」
「生き延びて、この帽子の持ち主を、探してくれないか?」
心臓がまた、跳ねる。
「…何、で?」
「さてな。ただ、そんな気がするだけだ。これを、そいつに渡したい、とな」
不思議な動悸が勇美を包む。
「勝手な事、ばかり、言って…ボクの苦労は…どうなるの?」
「頼む。お前は、俺との約束を守った試しはないが、一つくらい守っても、罰はあたらんぞ?」
約束する事で、生きる理由を寄越す。
そんな、裏の気持ちが痛い程見えて、気分が幾つも錯綜した。
でも、何処か、とても切なく、哀しい。
「じゃあ…もし逢えたら、何て言うの?」
「そうだな…忘れてすまん、とでも伝えてくれ」
「…何よそれ」
「そうか?だが、他になんて言ったらいいのか…」
「…馬鹿」
満面の笑顔。
勇美も、笑った。
涙は流れる、そのままに。
新井木勇美に関する補足事項:
同年 絢爛舞踏を授章。
以後の消息は一切不明である−
- Continuous End.-