月下の人形  −心の左側−
月下の人形 −心の左側−
「新世紀エヴァンゲリオン」より
「罪 −A Sin− ZERO」初出

 「…お前はシンジを心配しとんのや」
 「そう。わからない…」


 惨劇に幕が降りて3日目の夜。
 鈴原トウジが、記憶混乱による昏睡からふっと正気に返ったのは、そんな深夜の事だった。
 鮮やかな月の光がカーテンの隙間から病室に射し込んで、その光が、彼の正気を呼び覚ましたのかも
しれなかった。
 「…?」
 見慣れない天井。
 そこかしこに感じる傷の疼き。
 「痒いなぁ…」
 左足の裏が、重く、痛痒い。
 ゆっくりと、自由になる手を左側に降ろす。
 だが、
 そこには、何も無い。
 左の膝から下が行方知れずになっていた。
 「…」

 ファントムペイン。

 その言葉は知らなくても、
 見るでなく、自然に理解していた。
 自分が「シト」に侵されて、戦闘した結果、左足を失った事を。
 否、切断せざるを得なかった、事を、思い出したのだ。
 「…センセ、気にするやろなぁ…」
 不思議と怨む気持ちはなかった。
 仕方が、ない。
 おそらくは自分以上に堪えているであろう加害者を思うと、とても責める気にはなれなかった。
 彼自身は思った程ダメージを受けていなかっただけに。
 「綾波の奴…心配してるやろな」
 ふと、思い出す。
 他人に興味を抱かない筈の女が、わざわざ屋上まで彼を追ってきた事を。


 オマエハシンジヲシンパイシトンノヤ。
 ソウ。ワカラナイ。


 と、彼は、病室のカーテンが大きくはためいているのに気付いた。
 煌々と降り注ぐ光に延びる細い影。
 「?」
 影は、ゆっくりと、トウジのベッドに歩み寄ってきた。
 「あ…や、なみ…?」
 ほの暗い月明かりに浮かび上がったのは綾波レイの白い裸身だった。
 「なんや…?」
 レイは答えない。
 いつものように、無表情で、無造作に上掛けを剥ぐ。
 彼女は、トウジの左足を両手で押し抱いた。
 その傷を、いとおしむように、そっと頬を寄せる。
 「…」
 ぼんやりとした意識のまま、トウジはなすがままにされていた。
 痺れた意識の向こうで、何故彼女は此処にいるのだろう、と思った。

 と、彼女の唇が、包帯越しに触れた。

 「う…」
 ぴりっ、とした痛みが脳と、ある部分を、軽く刺激した。
 しみ一つ無かった包帯に、極薄く紅いものが滲む。
 彼女の眼と同じ、紅。
 そして、同じモノに彩られた唇を、その舌がゆっくりと舐めとっていく。

 「あやなみ…」

 勃然と何かが兆した。
 レイがそれに反応するように、トウジの口に、己の唇を重ねる。
 それはとても、密やかな、触れ合い。

 「ん…」

 ふたりはそのままじっと重なり合っていた。
 何処迄も白い月の光が、ふたりを柔らかく包み込む。
 「いいの」
 硬質ガラスの様な声が、耳朶に心地良かった。
 「…綾波…」
 ちらり、と同級生の女の顔がよぎった。


 傷を舐め合うものたちに、いつだって、月の女神は優しい。


 彼が想いを遂げた時、
 かすかな左足の痛みが、再びの昏睡を訪う。
 女が光に溶ける。
 彼の想いと呟きは、夜と共に消えた。
 「レイ…」



−End.−
[あとがき]
[HOME] [Novel Index] [PageTop]