「運命の恋人どうしって、小指と小指が赤い糸で結ばれているんだって」
素子はそう言って、僕の小指を、噛んだ。
運命なんてものを信じるほど青臭くもなかったし、そんな甘い幻想を夢見るほど深くのめり込んでもいなかった僕は、あっさりとその糸を断ち切った。
おかげで未だに、この指の赤い糸の片方は、所在なさげにぶらぶらと風に揺れている。
* * *
助けに行っても無駄な事は、判りきっていた。
たった一人を助ける事がより多くの犠牲を生む状況で、踏み込む判断を下せる者などいない。よしんば許されたとして、それだけの判断を下したと周囲が納得してくれるほどの、相手でも、関係でもなかった。
結果だけを捉えるならば、いつも通りの冷酷な判断と評価されただろう。多くの悲しみと、やるせない怒りを受け止めるのも、自分の大事な役割である。ただその奥に、血を吐く程の苦渋の判断があったことなど、誰にも気付かれることはない。
石津萌十翼長、戦死。
冷静を装っている自分が、少しだけ嫌になった。
霊安室で、ようやく二人きりになる事ができた。
ウォードレスは着けたままになっているが、髪を束ねる事もなかったせいか、その面影はいつもの様子を留めたままになっている。広がる髪の、ただその下の皮膚だけが、いつも以上に、蒼白い。
生命の色を失った身体の中で、髪を留めるリボンだけが、やけに鮮やかに赤を主張していた。
そのリボンが、片方ないことに気付いた。
視線を彷徨わせると、胸の上に組まれた手の下、小指の付け根に巻き付いている。
小指の先端は、吹き飛ばされた跡があり、断面に血が凝っている。
おそらく、止血の為に手近な布を巻いたのだろう。衛生官らしい慣れた様子で、小指の根元がしっかりと縛られていた。
血は、流れていない。ただその代わりに、鮮やかな赤い筋が、流れ落ちている。
萌に、恋人は居ない筈だった。それは、萌のことを誰よりも良く見ていた自分だからこそ、断言できる事実である。
14年という短い生涯を閉じた、彼女。
もし、死ぬことがなければ、彼女にはどんな運命の恋人が、待っていたのだろうか。
小指に巻かれたリボンの端が、所在なさげに揺れていた。
それが自分である可能性と、そうでない可能性を思いながら、リボンの端を指で掬う。
くるくると絡めながら、自分の小指に巻きつけていく。
根元にぎゅっと縛りながら、いつも嫌そうな表情しか見せてくれなかった彼女を思い、少しだけ可笑しくなった。
相変わらず身勝手ですいませんね、と聞こえる筈もないのに、呟いていた。
それでも。
貴方と私を繋ぐのが、運命の赤い糸でなくて、こんなリボンであっても、構わないでしょう?
たぶん、嫌な顔をするんだろうな、と思って、表情は見ないようにした。
ただしばらく、二つの指を結ぶリボンを眺めた後、傷ついた指に巻かれたリボンだけを、解いた。もちろん、血は出ない。
「もう、用済みでしょう?」
そう呟く自分が、何て浅ましいんだろう、と思いながら。
自分の指にぶら下がる、赤色のリボンを、眺めた。
おかげで未だに、この指の赤い糸の片方は、風に揺れたままである。
<end.>
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