それは、セブンアップ・ストレッチの終了した直後の事だった。
スタジアムのマウンドに向かおうとしたランディは、そこに、見た事もない者が先んじて立って居るのを見た。
なりは小さい−ランディは人並み外れた身長なので彼に掛かれば誰もが小さいのだが、それでもメジャーの選手としては決して大きい方では無い。それなのにユニフォームがお仕着せに見えないと言う事は、それなりに鍛え上げられた体付きをしている事の現れだ。
だが、何より怪しげなのは、その顔を包帯でグルグル巻きにしている処だった。
「シット!また変なファンか!」
唾を吐きながら、足早に近付くと、その木乃伊男(マミーマン)は口だけでニヤと笑い、
セットモーションに入った。
「なっ?!」
素早いオーバースローから繰り出されたストレートは、つんざく音を立て、土埃を従える様にまっすぐキャッチャーミットへ収まった、
かに見えた。
「のっ、ノォオオオオ!!!」
上げる絶叫そのままに、同僚の巨体がバックネット側の壁に叩き付けられて行く様を、ランディは、見た。
ミットを突き破った豪速球は、キャッチャーごと、スタジアムの壁にめりこんで居た。
静まり返るスタジアム。
電光掲示板に示された、「106」の文字。
そして件の人物は−
「はーっはっはっはっはっは!!!!」
高らかな笑い声に、一瞬遅れてまきおこる怒号、ブーイング、そして−「Who?」の叫び。
投げ込まれる大量のゴミと、やっと不審者に気付いたかの様に、警備員が件の人物に駆け寄る。
にやり、と再び笑って、駆け出す件の人物。
「106マイル…時速170kmですか」
観客席の一つを陣取っていた、初老の男が呟く。
「重さもスピードも申し分無い」
サングラスを押し上げるとちらり、と隣の席を眺める。
そこには、本を顔に伏せて、腕組をしたまま寝てる男が一人。
「良い足も持ってる様ですし」
今しも不審者は、全ての防御をかいくぐって脱出しようとしていた。
「…ちと予定外やが、こっちの方がらしいてよかろ」
ぼそり、と本の下から声がした。
とん、とその手が、何かを弾き上げる。
頷きつつ、サングラスの男がするり、と新聞を丸めて。
ひゅ、と空を切る音は、既に新聞のそれでなく。
「…知念のアホの真似かい」
再びくぐもった声が本の下からする。
片手で新聞を振り抜いた、サングラス男がニヤリと笑った。
「判りますか?」
サングラスを再び押し上げて。
「忘れてるかと思いましたよ」
甲高い音がグラウンドを突き抜けて行く。
「わからいでかよ!」
その音が切れるのと同時に、
「それが貴様の特技やろが」
逃げていた木乃伊男が、何かに弾き飛ばされて、
「僕だけでなく、みんなに出来る事ですけどね」
わらわらと警備員に捕まった。
「さてと」
本を被っていた男の方が、その本を閉じて、起きあがる。
「そろそろ行こか、球九郎」
サングラス男も肯く。
「はい。球四郎さん」
『アストロ球団2005』
東京都千代田区丸の内。
大企業の本社が立ち並ぶ一等地に、そのビルは立っていた。
東京ドームが幾つも入りそうな広さで、それでいて高さも充分に高い。
敷地の入口に書かれた「AS Corp.」の文字。
そこは、今を時めく大企業「エーエスコーポレーション」の本社ビルだった。
その最上階へ、一人の男が今しも辿り付こうとしていた。
軽やかな音がして、日本最速エレベータの扉が開く。
限られた者しか使えない「それ」から、降りた男に声が掛かる。
「よう、景気はどうでえ」
「…相変わらずだな、球七」
肩をすくめて男−三荻野球五が苦笑する。
「俺ァお前らと違って、細けえ事は気にしねえのさ」
エレベータの前にあるソファにでんと腰かけた、小柄な男−明智球七は、鼻を鳴らす。
「何が歳相応だ。オラー何時迄もこれでいいのよ」
「まあ、球七が丸くなる様じゃ、逆に心配なんだけどね」
「るせぇな、言ってろよ」
「で?」
す、と球七の目が細まる。
「−噂は確かなのか?」
球五の表情も改まった。
「その辺はみんなが揃った処で説明するよ。面白い情報が入ってきてるし」
「おう、新戦士候補ってやつか」
とん、と老けた外見に不似合いな軽さで、球七はソファから立ちあがった。
そのまま歩みを進める球五と共に『オーナーズルーム』と書かれた部屋に入る。
高い天井と、大きなフロアに、たった9つだけの席が付いた、だだっ広い、円卓。
正面のカベに、肖像画が、二枚。
野球帽を被った日本人と、サングラスを掛けた浅黒い異国人の、もの。
「経営者会議、なんて言った処で、実際に行われてるのは全く関係無い話しだなんて、
社員は誰も知らないんだろうなあ…」
嘆息する球五に、椅子の一つから声が掛かる。
「そいつぁ言っちゃいけねえだろ、五の字」
斜に座って腕組をしてるのは、高尾球六だった。
「ロクさん」
「野球以外に能の無え俺達を、こうやって食える様にしてくれた奴らに申し訳無えだろが」
「何枯れてやがんだ手前」
「つっかかるなよ七」
「るせえ球五、手前も枯れてんじゃねえ。さっきも言っただろ。俺は変わんねえって」
球七はつかつかと正面に歩み寄る。
そのまま両腕を広げて、掲げられた肖像を見上げる様に叫んだ。
「沢村さんやシュウロの大将が目指してたのは、そんなんじゃねえだろ!!」
そのままくるり、と向き直り。
「打倒大リーグ!これじゃねえのかよ!俺らにとって重要なのは日々の糧を稼ぐ事じゃねえ!野球だ!野球なんだよ!」
『だから、続けられる様にしたんでしょうが』
声と共に低い唸りがして、円卓の中空に映像が結ばれる。
「…っ、このキザ男がよ!」
歯ガミする球七を後目にニヤリと笑う、画面の中のサングラス男−火野球九郎。
『はいはい。その台詞は耳からタコが剥げ落ちる程聞いてますよ、球七さん』
「その口調が胸糞悪ぃってんだよこのタコ助が!ちいと頭良いからって気取りやがって」
「ああもう、球七は放っておいて良いから。何処からだい、球九郎」
「何だとこら!球五手前!」
「止しねえ」
「こら離せロク!」
ドタバタを無視する様に、球九郎は口を開く。
『ニューヨーク支社からです。球四郎さんはもう少し様子を見たいと言ってアレにくっついてますよ。ひとまず報告だけしとこうと思って、私だけこちらに』
「そうか…で、肝心の方は」
その言葉に、暴れていた球七の動きがぴたりと止まる。
球六も、顔を上げて、画面を見た。
だがそこには、無言で首を振る球九郎の姿があった。
「…どこへ行きやがったんだ」
球七の膝が、がくり、と落ちる。
「今日此処へ来れば、判るかと思ったのによ…」
シュウロが亡くなって一年後。
「何かが、違う」と言って、宇野球一が失踪した。
以来、彼名義の口座は一切減る事も無く。
ショックを受けた上野球ニは「僕が球一さんを探します」と下野した。
「私もこういう生活は性にあわない」と、伊集院球三郎も、実家に戻った。
そして今、球七の弟・明智球八は、諸事情でリハビリに励んでいる。
『今…枕元に…沢村さんが…』
『1987年に…新たな戦士が…』
『探せ…お前達に代わる、新たな、戦士を!』
病床の遺言は、未だ、彼らを縛る。
「何が気に入らねえんだ…球一よぉ」
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